これは新たな「辺野古」ではないか。沖縄でも屈指の海岸を埋め立て、新基地をつくる計画─米軍の那覇軍港を浦添市に移設するという問題だ。敗戦直後でもないのに、2020年といういま、人間の命と尊厳を脅かす基地を造ってアメリカに差し出すのは、世界で例を見ない。市民が反対に立ち上がった。
「イノー豊かな西海岸は県民、国民の憩いの場として残したい。軍港誘致のストップを」
「市長の役割は浦添市民の幸せ、願いを実現すること。来年2月には、西海岸の自然を残す市長を選ぼう」
こんな声が聞こえてきた。
「カーミージーの海 浦添の宝」
「美ら海大好き! どこにも軍港いらない!」
「浦添軍港問題 ご一緒に考えませんか」
などの横断幕、プラカードが人目を引く。
ここは沖縄県浦添市の安波茶交差点。11月27日夕刻、「浦添西海岸の未来を考える会」のスタンディングの現場だ。
人々を「埋め立て反対」へと駆り立てる浦添西海岸の海とはどんなものなのか。「浦添西海岸の未来を考える会」の世話人の1人、そして子どもや大人たちに西海岸の自然を体験してもらう活動をつづけている浪岡光雄さんに、「パルコ・シティ」の展望台で説明してもらった。
サンゴや魚が群生する西海岸
「左手に見えるのがケラマ諸島国立公園。浦添の西海岸はそのケラマ諸島と海続きで、二つの海は区別できません。あの白い波の内側がイノー(礁池)、サンゴや魚たちが群生しています。西海岸の右端にはカーミージー(亀瀬)もあります。泡瀬の海は埋め立てられて無残なことになってしまったが、浦添の西海岸の海はなんとしても守り通したい。自然は、1度壊してしまうと、2度と元には戻らないんです」
浪岡さんが作成したミニパンフ「カーミージーの海の生きものたち」には、カクレクマノミ、オオウミウマ、カサノリなど83種の生物が生息し、春の潮が退いた海底はアーサが緑のじゅうたんをなし、人々が歓喜の声をあげている場面など、素晴らしい西海岸が紹介されている。
沖縄県のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅰ類に指定されているカワラガイなど、貴重な自然が残る海域。地元の子どもたちや地域住民が守ってきたかけがえのない自然。沖縄に古くからある、原風景ともいえる海なのだ。
浦添市民の間に激震が走ったのは8月だった。地元紙の沖縄タイムス8月15日付が「那覇軍港北側案合意へ」と1面トップで報道。沖縄県、那覇市、浦添市の3者が「軍港位置を現行計画の『北側』案で合意する方向で最終調整に入った」ことを伝えた。8月18日には3者が合意。19日付琉球新報は「急展開 県民置き去り」と報じた。
市民除外の浦添移設
3者の合意は県民・市民を除外して、日本政府(防衛省)が3者にアメリカの意向を伝えたことによってもたらされた。アメリカの意向であれば、なんでもありなのか。アメリカのいいなりになって西海岸の海を埋め立てるのか、という疑問が市民の間にある。
那覇軍港は国場川が海に注ぐ所にある。対岸には「那覇ふ頭船客待合所」があり、いわば那覇市の要所を占拠している。面積は約56ヘクタール、東京ドーム12個分の広さだ。
1945年に米軍が沖縄を占領して以来、米軍基地として使用されてきた。後方支援基地として特に、ベトナム戦争時は重要な役割を果たした那覇軍港も、最近は遊休化している状態だ。米軍はここ20年近く、入港数の公表はしていない。
遊休化した軍港を、美しい西海岸の海を埋め立ててつくる必要があるのだろうか。いや、那覇軍港を無条件で返還すれば済むことなのだ。
一度軍港をつくれば、その後は米軍が好き勝手にできる。日米安保条約と日米地位協定によって米軍は守られている。
新型コロナウイルスの渦中、日本人はなりを潜めるようにして生活してきた。しかし、米軍・米兵は検疫を受けることなく、ノーチェックで、日本・沖縄に入ってきた。米軍の横暴を日本政府は規制できない。米軍基地が人々の生活、命と人権を踏みにじってきたことは、敗戦直後から今日まで、沖縄では無数の事実が証明している。
早くも軍港の基地としての「機能強化」が指摘されている。
那覇軍港の水深は約10メートルだが、浦添ふ頭地区の沖合は水深15~20メートルだ。米軍の大型船が入港できる。地元紙も「那覇軍港の浦添市移設で、基地機能が強化される恐れが拭えない」としている。
市民たちが「浦添西海岸の未来を考える会」を立ち上げたのは、3者合意の直後だった。
同会世話人の一人の里道昭美さんはこういう。「那覇軍港の浦添移設は普天間基地を辺野古にたらい回しするのと同じ。市民が軍港受け入れの民意を示したわけでもないのに、国民の血税をつかってむざむざと西海岸を埋め立てアメリカに提供するなんて、とんでもない」
那覇軍港の浦添移設問題の起源は、日米両政府が移設条件付き全面返還で合意した1974年にさかのぼる。以来、1995年の日米合同委員会で「移設先は浦添ふ頭地区」とされ、96年SACO(日米特別行動委員会)最終報告で、米軍普天間基地の返還、そして那覇軍港の浦添移設が合意された。米軍普天間基地の返還も、那覇軍港の返還も新基地をつくることが条件とされた。
2001年には当時の儀間浦添市長が浦添に基地をつくることを受け入れを表明。翁長那覇市長、稲嶺県知事も「県経済の発展につながる」などと容認した。
公約違反、軍港容認の松本市長
現在の松本浦添市長は「公約違反」を重ねて、那覇軍港の浦添移設を受け入れた。2013年、移設反対を訴えて当選したが、2015年、公約を撤回して受け入れを表明した。2017年、松本市長は「北側案」見直しを訴えて日米両政府に抵抗しているかのように見せかけ当選した。しかし、西海岸を埋め立てることでは違いがない。
解せないのは、玉城沖縄県知事の対応である。
玉城知事はマスコミにも県議会に対しても、辺野古新基地建設と那覇軍港の浦添移設は「違う」という態度をとり続けている。翁長前知事と同じく、軍港移設は「港湾内の整理整頓」という考えだ。那覇軍港の浦添移設を容認しているのだ。
知事は基地のない沖縄を目指せ
玉城知事の矛盾に満ちた姿勢は、県議会で自民党県議の厳しい追及を受けている。「普天間飛行場辺野古移設については新基地建設と言い、那覇軍港浦添移設については基地の代替案と表現しているが、県民にとっては同じ」と。自民党は2年後の知事選は県政奪還のチャンスとにらみ、攻め立てているのだ。
玉城知事の容認姿勢は自民党を勢いづかせる一方、県政与党を分断している。那覇軍港の浦添移設に反対するのは「沖縄・平和(社民党と社大党)」と日本共産党だけだ。
玉城知事は思い起こしてほしい。当選の原動力となった「玉城デニーうまんちゅ大集会」での演説を。沖縄県知事選挙の終盤2018年9月22日、那覇市の新都心公園での自分自身の演説を。
当時のメモと音声データによれば、玉城氏は次のように訴えた。
「戦争に奪われた土地は沖縄県民に返すべきです。私たちは今度の県知事選挙であらためて誓いましょう。
この選挙で玉城デニーとともに、日本政府から、アメリカから沖縄を取り戻す。うちなーんちゅの手に取り戻す。青空を子どもたちのために取り戻す。そのことをしっかり誓いましょう」
この演説(公約)に、美ら海を埋め立て米軍基地を新設することが、肯定される余地はない。玉城知事はこの演説の立場に回帰してほしい。それが、沖縄の未来を切り開く。
那覇軍港の浦添移設は進行しつつあるとはいえ、本決まりになるのはまだまだ先のことだ。
大きな役割を担うのが国、沖縄県、那覇市、浦添市、那覇港管理組合で構成する「那覇港湾施設移設に関する協議会(移設協議会)」と、沖縄県、那覇市、浦添市で構成する那覇港管理組合だ。
移設は、那覇港管理組合が浦添の民港案を定め、その後に移設協議会で軍港案を決めることになる。しかし、いまだ民港案さえできていないのが実態だ。
将来どんな沖縄を目指すのか──那覇軍港の浦添移設問題は将来の沖縄像と一体のものだ。
オール沖縄が依拠する「建白書」はオスプレイの配備撤回と辺野古新基地建設反対をうたっている。将来は「基地のない、平和な沖縄」を目指すのが、その精神ではないか。
玉城知事肝いりの「米軍基地問題に関する万国津梁会議」は今年3月、提言を玉城知事に提出した。提言は「沖縄県民は、まずは『基地を返還させること』を・・・考えている」と記述している。沖縄県民の願いは、基地の返還だと指摘しているのだ。
沖縄県は将来像として「沖縄21世紀ビジョン」を掲げている。そこには「沖縄は27年間に及ぶ米軍施政権下で広大な米軍基地が形成され、今なお本県の振興を進める上で大きな障害となっています」とある。「米軍基地は沖縄経済発展の最大の障害物」というのが、オール沖縄勢力の旗印ではなかったか。
玉城知事がかかげる持続可能な開発目標(SDGs)と、米軍基地は矛盾しないのか。
10月10日、玉城知事は加藤官房長官に対し、軍港の先行返還を要求した。移設容認の立場は変わらないものの、「県民世論の一定の反映」とも受け止めることができる。「浦添西海岸の未来を考える会」も「市民の声を大きくしてデニー知事の背中を押し、遊休化した那覇軍港は返還・浦添移設中止の道を作りたい」と考えている。
時代は変わる。社会も変わる。国家のための安全保障から人間のための安全保障へ。コロナ禍にあって、世界の既存の安全保障政策はなにも役に立たなかった。日米安保条約・日米軍事同盟はその最たるものだ。いたずらに脅威をあおって、軍事費だけが膨張していく。人間の命と尊厳を踏みにじって恥じない──。
市民こそ政治の主役
県民・市民の反対意志を示すチャンスがやってくる。来年2月の浦添市長選だ。「私たちの願いを託せる市長候補を応援したい」──と市民たちは伊礼悠記氏(37)に出馬を要請した。シングルマザーで共産党の現職市議、無所属で立候補する。
浦添市民の願いを実現するためにも、世論は浦添移設に反対していることを示す市長選にしたい。抗い闘う人々が政治・社会を変える──。
「浦添西海岸の未来を考える会」の里道さんは、西海岸の自然を残したいという市民の思いを代弁してこういう。
「埋め立て反対、軍港はいらないという私たちの運動が、玉城知事を追い詰めることにならないか、オール沖縄に亀裂をもたらさないか、立ち止まって考えました。でも、やっぱり埋め立て反対の結論になりました。知事のために私たちが存在するのではなく、私たちのために知事は存在すると思います。主権者は私たちなのです」