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星英雄:新型コロナウイルスと人間の安全保障

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安全保障って、何だろう。新型コロナウイルスの脅威に直面して、旧来型の安全保障は無力だ。アメリカも中国も日本もヨーロッパ諸国も、多くの人が感染し、命を落としている。軍事力は人間の命を守らない。新型コロナウイルスの出現は、命と人権を守る人間の安全保障へ、根本的な転換を迫っている。

安全保障とは本来、さまざまな脅威から人間の命と暮らし、人権を守ることであるはずだ。しかし、そうはなっていない。世界はすでに336万人が感染し、23万人以上が死亡した(ジョンズホプキンス大学調べ)。第二次世界大戦後最大の危機といわれる新型コロナウイルス対策に、軍事力による安全保障は役に立ったのか。

国連の安全保障理事会は4月になってはじめて、新型コロナウイルス対策の会合を開いたが、米中両国の対立もあり、対策は出せなかった。グテーレス事務総長や欧州諸国の首脳らの第二次世界大戦に匹敵する危機意識の表明にもかかわらず。

国民が命と暮らしの危機に直面する中、安倍政権の対応はどうだったのか。安倍政権が鳴り物入りで設立した国家安全保障会議は役にたったのか。

日本の国家安全保障会議はアメリカを模して設立された。日本の安全保障政策の司令塔とされ、新型コロナウイルス対策でも会合を重ねてはきた。トップは安倍首相だ。

しかし、国家安全保障会議はアメリカの核兵器に依存することを柱とした旧来型の安全保障を議論する場として設置された。議論の対象は「国防の基本方針」や「防衛計画の大綱」「武力攻撃事態」などである。新型コロナウイルスの初会合は1月31日。以来、10回を超えた。

しかし、国家安全保障会議のとってつけたような新型コロナウイルス対策が、国民・人間の命を守ることに役立つことはなかった。日本の歴代政権、安倍政権は2002年に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)、2012年に発生したMERS(中東呼吸器症候群)から学ぼうとはしなかった。軍事力の強化には熱心だったが、感染症対策の専門機関を設立することはなかった。

安倍政権の新型コロナウイルスへの対応は後手後手だった。そして迷走し、破綻した。いま大都市東京で、院内感染が広がり、医療崩壊が明白となった。

永寿総合病院は患者130人、医師や看護師ら80人、計210人が感染し、死者36人を数える(同院集計、4月24日現在)。永寿総合病院は東京都が指定する救急医療機関でもある。多くの感染者、死者を出している中野江古田病院も都立墨東病院も救急医療機関、そして地域の中核病院だ。これらの病院が外来診療と入院の受け入れを中止したり、手術を中止したりしている。こんなケースは他にも多数あり、医療の現場は悲鳴を上げている。

「37.5度以上の熱が4日以上続く」などの検査抑制方針の結果、症状が現れない感染者が感染を広げている。東京都は1月15日から4月27日の間に、検査人数はわずか1万702人。1日平均100人程度だ。ところが陽性率は極めて高い37.0%。その次が大阪府の18.9%だ。しかも東京都の統計は、「自宅療養」を明らかにしない。小池都政は必要な情報を開示しない。

都は4月30日になって隠ぺいしていた自宅療養者数を明らかにしたが、635人という驚くべき多さだった。他方、ホテルに隔離されているのはわずか198人。自宅療養者が重症化する恐れだけでなく、家庭内感染源となり、出歩けば経路不明の市中感染源になる恐れは十分にある。

韓国は一時、新型コロナウイルスの感染者が爆発的に増えたものの、ドライブスルー方式などPCR検査を徹底し、感染者ゼロの日を迎えるようになった。「検査、そして感染者の隔離」が感染症対策の世界の潮流なのだ。

世界の常識に反し、検査を抑制してきたのが安倍・自公政権だ。専門家会議の尾身副座長は5月1日の記者会見で「我々は感染の実態の一部しか把握していない」と発言。西浦北海道大学教授は4月24日、独自に開いた記者会見で「実際は10倍以上かもしれない」との見解を表明している。

実態から国民の目をそらす安倍首相も小池都知事も「オリンピック・ファースト」「自分ファースト」の考えで知られている。

新型コロナウイルスは貧富の格差を当然視する新自由主義の問題を露わにしてもいる。アメリカでは黒人やヒスパニック系など低所得層・弱者に感染者・死者が多い。医療体制が不備な、貧しい国々のアフリカはこれから新型コロナウイルスが蔓延することが危惧されている。日本でも学生や自営業者、弱者が生活苦にあえいでいる。

安倍首相は事あるごとに「国民の生命と財産を守る」と強調してきたが、実際は、軍事費の増大とは逆に縮小されてきたのが医療・社会保障体制なのだ。

日本は、軍事力の強化にカネを注ぎ、医療・社会保障を細らせてきた。アメリカの兵器を爆買いしても、医療の現場に満足な防護具すら支給しない。今年度の予算に、新型コロナウイルス対策費はなく、軍事費は過去最高額の5兆3000億円にのぼる。

紛争や軍縮などの研究で知られるSIPRI(ストックホルム国際平和研究所)は、「紛争」のうち年間の死者数が1000人を超えるものを「戦争レベルの紛争」、つまり1000人超の死者が出れば「戦争」と呼んでいる。世界はすでに新型コロナウイルスの死者23万人超を数えている。恐るべき事態なのだ。

68年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した。沖縄では、日本の独立と引き換えに沖縄を米国に差し出したこの日を「屈辱の日」と呼ぶ。同日、「基地提供条約」といわれる日米安保条約も発効し、今日に引き継がれている。

安倍政権は沖縄県民・国民が新型コロナウイルスと戦っているさなかに設計変更を申請し、辺野古新基地建設を強行する姿勢を改めて示した。基地は命と人権を脅かす元凶である。防衛省の試算でも、工期12年、工事費9800憶円を投入する計画だ。巨額の税金を投入してアメリカに貢ぐことは、人間の安全保障とは真逆である。

日本国憲法は人権について「侵すことのできない永久の権利」として「現在及び将来の国民に与えられる」と明記している。安倍政権の辺野古新基地建設は、断念すべきだ。

人権重視は国際的趨勢だ。人々の安全保障観にも影響を与えてきた。命と人権を守ることが安全保障である。国家のための安全保障から人間のための安全保障へ。国民の命と人権を守るのが政府・国家の責務なのだ。

国際人権規約は1966年12月に国際連合総会で採択された。人権についての国際条約だ。日本も一応、批准してはいるが歴代政権は人間の命と人権を軽んじてきた。

国連の『人間開発報告書』(1994年版)は「核の安全保障」から「人間の安全保障」への転換を打ち出した。そこにはこう書かれている。「多くの人にとって安全とは、病気や飢饉、政治的弾圧、環境災害などの脅威から守られることを意味している」、「武器へ関心を向けることではなく、人間の生活や尊厳にかかわることである」──。

新型コロナウイルスの脅威の中で、日中両国の姉妹都市が相互にマスクを贈り、贈られたことが報じられた。ささやかな出来事であるかもしれない。とはいえ、中国からの観光客は2019年に959万人に達している。軍事力による「抑止」ではなく、人々の交流の深まり・連帯こそが、安全保障の土台となる事は間違いない。

これからの東アジア、世界の安全保障をどうするか、主権者として考えてみたい。他者を理解し、人間の命・暮らし・人権を守る安全保障、人間の安全保障へと向かうために。新型コロナウイルス後の日本と世界の形がどうなるか、決めるのは日本と世界の人々だ。

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