沖縄のいま

星英雄:辺野古からはじまった米軍嘉手納基地の撤去運動

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米軍嘉手納基地は沖縄の嘉手納町、沖縄市、北谷町にまたがり、3700メートルの滑走路2本を有している。その面積は羽田空港の約2倍、東アジア最大級の米空軍基地とされ、アメリカが最も手放したくない在日米軍基地、といわれる。その米軍嘉手納基地前で、嘉手納基地の撤去を求める運動、嘉手納ピースアクションの抗議行動が始まったのは2016年4月15日のことだった。

10月25日、名護市から始発の高速バスとタクシーを乗り継いで嘉手納基地第1ゲート前についたのは午前7時少し前。早くも男性の訴えが、スピーカーを通して聞こえてきた。

「日本政府は民主的な政府ではありません。沖縄からすべての米軍基地を追い払い、世界に誇れる平和な沖縄に・・・
私たちの生活、命もアメリカまかせ。私たちが私たちの民主主義、生活と命を守るしかない」

嘉手納ピースアクションは毎週金曜日、午前7:00~8:30、嘉手納基地前で嘉手納基地撤去を求める抗議活動を続けている。今朝は184回目、これまで延べ1万4000人以上の人々が抗議行動に参加した。参加者の多くは、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前の抗議行動にも参加している。嘉手納ピースアクションの抗議行動を終えて、休む間もなく辺野古に駆け付ける人も少なくない。

ピースアクションの抗議行動は辺野古のゲート前のテントの中で、数名の相談からはじまった。翁長沖縄県知事(当時)が仲井眞前知事の埋め立て承認を取り消したことに対し、国土交通大臣が埋立承認取り消し処分が違法だとして代執行の手続きをした。その代執行訴訟が和解した2016年3月頃のことだった。

嘉手納ピースアクションの世話人、伊波義安さんはこういう。「辺野古の基地建設をやめないなら、アメリカが一番恐れている嘉手納基地撤去の運動をやろうということで始まった。当初は3~40人程度と思っていたが、2回目から100人以上参加したので、嘉手納の4つのゲート前で分かれてやることになった」。

嘉手納ピースアクションは最近、沖縄を震撼させている米軍が発生源の汚染水問題─有機フッ素化合物(PFAS)問題にも取り組んでいる。(近く詳報する予定)

〈嘉手納基地に入る米軍関係者の車〉

嘉手納基地の事件・事故は絶えない。1955年9月、幼女強姦殺人事件の「由美子ちゃん事件」が発生した。1959年6月、F100ジェット戦闘機が石川市宮森小学校に墜落した。児童を含む17人が死亡、重軽傷者210人の大惨事である。3年前の2016年4月、20歳の女性が嘉手納基地勤務の軍属の男に強姦され、殺された。

「カデナ アウト!」「ノー カデナベース!」のコールが米軍嘉手納基地に響く。

嘉手納ピースアクションが抗議行動をはじめてからすでに3年半余。嘉手納基地撤去を求める運動を続けている4人に、その思いを聞いた。

大浜節子さん〈人間として生るための抗議活動〉

沖縄の戦後は基地の被害を受け続けた歴史です。私は米軍関係の職についていましたが、57歳で退職しました。辺野古新基地建設反対、嘉手納基地撤去という、基地反対の運動には15年くらい関わっています。この闘いは大衆の力だと思います。

辺野古新基地建設反対の運動に参加する過程で、いろんなことを学びました。辺野古・大浦湾を破壊して米軍基地を造っていいのか。許せません。嘉手納でも、米軍属にうるま市の20歳の女性が虐殺されました。米軍基地はオスプレイの墜落をももたらしました。基地がこれだけあって、県民は被害を受け続けています。この異常な現状は何ですか。闘って基地をなくしたいという思いです。

基地は戦争目的のために存在しています。撤去させないといけません。長く運動を続けていて、確信が見えてきたように思います。基地をなくす運動は、人間として生きるために必要な抗議活動なのだと思います。あるべき社会、あるべき政府を求めて抗議をつづけています。

過去の先輩たちの闘いをつないでいくのが沖縄の闘いです。辺野古も嘉手納も土地闘争を引き継いでいます。そして、いまの運動の直接の発端はオスプレイ配備反対運動だと思います。2012年9月のオスプレイ配備に反対する県民大会には10万人以上が結集しました。市民たちは普天間基地を封鎖しました。それまでの反対運動を大きく超えた闘いだったと思います。

私たちは未来に、子どもたちに責任があります。歴史に残る闘いを沖縄はしていると思います。私たちは絶対にあきらめません。

宮城英和さん〈草の根の運動はつづけることが大事〉

私は東京で40年間教師をして、生まれ育った沖縄に戻ってきました。うるま市の島ぐるみ会議、うるま市の9条の会の立ち上げにも参加しました。嘉手納基地の撤去を求めるピースアクションの行動以外にも、うるま市の島ぐるみ会議で大型バスを借り切って辺野古新基地建設反対の抗議行動にも参加しています。もう6年になります。

沖縄の基地からはいろんな問題が発生しています。嘉手納基地の軍属に20歳の女性がレイプされ、殺されました。基地がある限り、私たちは平穏で平和な生活を望めないことは確かです。それなのに、なぜ辺野古に新たに基地を造らなければならないのですか。最終的にはこの嘉手納基地をはじめとするすべての基地をなくさないといけないというのが、私が抗議行動に参加する強い動機です。

キャンプ・コートニーという海兵隊の基地がうるま市にあります。これに対する抗議行動も続けています。ぼくたちの抗議のメッセージは米兵たちに届いています。英語でもメッセージを発しますが、米兵たちは聞いています。基地はいらないという市民の声は効果があると思います。

私たちの運動は、草の根の運動です。抗議行動をつづけることは容易ではありませんが、つづけることが大事です。長い間には波もありますが、工夫をするとまた活性化します。辺野古も嘉手納も全基地を撤去させる運動を粘り強く進めたいと思っています。

豊里友治さん〈沖縄の自己決定権を尊重してほしい〉

辺野古新基地をめぐる裁判でも沖縄県が負けたように、日本の中にいても沖縄の自己決定権は保障されません。沖縄は日本から独立した方が望ましいと思います。岩屋前防衛大臣が「沖縄には沖縄の民主主義、国には国の民主主義がある」といったことも、沖縄は別だという位置づけの現れだと思います。沖縄は、武力併合以来「準県」であり実質的植民地という扱いです。

自衛隊もやってきます。南西諸島は日本防衛の最前線という位置づけでしょう。新型中距離ミサイル配備の話もあります。アメリカはアメリカ本国と離れたところ、日本は東京から離れたところの沖縄を戦場にするのかと思わざるをえません。

沖縄は米軍基地からの爆音や環境汚染などで苦しめられています。最近浮上したのが、人体に有害なPFAS(有機フッ素化合物)による水道水の汚染です。45万人が汚染水を供給され、最も被害を受けるのは子どもたちです。嘉手納、普天間基地の泡消火剤が主な汚染源になっています。

県の企業局のアンケートにもありますが、「水道水を飲まない」、「安全性に不安」の県民の声があがっています。汚染された水道水回避が起こっています。

厚生労働省は沖縄県の要請を受け、水質の暫定目標値設定を企図していますが、世界的に見て遅れていると思います。米軍基地内の汚染実態について日米両政府は情報の公開を拒否しています。

報道によると、アメリカでもPFAS汚染が表面化、米環境保護庁が勧告値の見直し、除染の開始をめざす中、国防総省も米国内の基地周辺で除染を迫られています。汚染が先行した15州の知事たちは厳しい基準と基地の除染を要求しています。沖縄も、この州知事たちの動きに学ぶべきです。

沖縄県民は、命と暮らしを守る運動を通じ、米軍基地と共存できないことを絶えず思い知らされています。

喜友名稔さん〈私が生まれた家は基地に盗られた〉

嘉手納基地から派生する事件事故は、普天間基地の事件事故よりも多く、嘉手納基地こそ最も危険な米軍基地であることを示しています。嘉手納基地からいろんな紛争地域へ出撃します。私たちは被害者でありながら、他方では加害者の立場になっています。嘉手納基地は撤去されなければなりません。

私は嘉手納基地の中で生まれました。子どもだった私も米軍の捕虜になり、家族といっしょに米軍設置の強制収容所で過ごしました。2年後に郷里の北谷町に戻ることができましたが、生まれ育った家屋敷、集落は米軍基地のフェンスの中でした。北谷町は現在も町面積の53%が米軍基地に占拠されています。こんな理不尽なことを許してはなりません。私の願いは嘉手納基地をはじめ米軍に接収されている町内の土地を取り戻し、生活の場に変えることです。

普天間基地の「県外・国外撤去」を県民大会や県議会が決議した時、アメリカの新聞は「嘉手納基地が対象ではなく良かった」と報じました。日米で合意した基地の整理縮小案も嘉手納基地以南が対象です。このように嘉手納基地は在沖米軍の要の基地です。沖縄の人々も県議会もこの巨大な嘉手納基地の全面返還は提起できていません。

米軍が沖縄を統治していた時に持ち込まれた核兵器、化学兵器は1972年沖縄返還の時県外に持ち出されましたが、それが一部だったのか全部だったのか検証できていません。現在でも嘉手納弾薬庫のNBC兵器の保管の疑惑は絶えません。

私たちは毎日米軍航空機の爆音、米軍機墜落・部品落下の恐怖、米軍基地由来の土地や湧水、水道水の化学物質汚染の中での生活を余儀なくされています。基地ある故に沖縄の人々は命、人権が脅かされ、奪われています。

私はどこでも、全基地撤去を主張をしています。米軍基地は諸悪の根源であり、沖縄経済発展の最大の阻害要因と言われ続けてきました。戦争に繋がる一切の設備施設を許してはなりません。戦争は生活をはじめ一切の物を灰塵にしてしまいます。私は基地被害から解放され、人々が安心安全な普通の生活が送れる世の中の実現を目指して、嘉手納基地や普天間・辺野古での抗議行動を続けています。

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