人間の尊厳、つまり人権の実現はいまや国際社会の普遍的な価値となっている。日本国憲法も人権の保障をうたう。ところが沖縄では米軍のやりたい放題の現実がある。日本政府がそれを容認している。沖縄・金武町で最近発生した米軍の銃弾事件もその1例だ。人間の命をなんと心得るのか。
事件が発覚したのは7月7日のことだった。沖縄県金武町伊芸区の民家で勝手口のガラスが割れ、銃弾のような物が見つかったと、金武町役場に連絡があった。この時期、米軍の演習が行われていたことは、米軍自身の通知によって明らかになっている。
住民たちは「またか」、「米軍の実弾演習にいつまで命を脅かされなければならないのか」との思いにかられた。住民の間に米軍に対する怒りが広がった。
日本では普通、民間人は銃を持たない。米軍の演習も、明白な事実だ。ところが米軍は驚くことに、すぐに否定してみせたのだ。これに対し、「米軍は平気でウソを言う」と町民は、受け止めている。
金武町議会はたびたび米軍にたいする抗議決議や意見書を採択しているが、2009年の全会一致の抗議決議にはこうある。「米軍が示した最終報告書は、事実関係をねじ曲げ・・・絶対に信用できるものではない」。米軍はこれまで1度も米軍の実弾だとは認めていないが、町会議員はそろって、保守的な町議も革新的な町議も、米軍は「ウソつきだ」と言っているのだ。
警察もあてにはできない。これまでいくら銃弾事件が繰り返されても、米軍の犯罪を明らかにできなかった。
2018年の名護市の銃弾事件もそうだった。名護市数久田の農作業小屋で米海兵隊の銃弾が見つかったが、県警は捜査に3年をかけたものの、結局は容疑者不詳のまま殺人未遂、器物損壊容疑で那覇地検に書類送検した。米軍の協力がなければ捜査が進まないことも現実だ。そこには、米軍の非協力を容認する日本政府の存在がある。
事件があった金武町は、町の面積の55・7%、半分以上を広大な米軍基地=キャンプ・ハンセンが占拠し、町民は残りの狭隘な土地に暮らすことを余儀なくされている。しかも米軍基地は、伊芸区からはわずか330メートルという至近距離にある。民家からこれだけ近いところで実弾演習をすること自体、常軌を逸する行為だ。アメリカ国内では許されないという。
しかし、在沖米軍は、米軍基地キャンプ・ハンセン内をどう使おうが米軍の勝手だという考えだ。住民の被害や恐怖に、向きあおうとはしない。
金武町も沖縄県も実弾演習場(レンジ)の位置も、数も正確には知らない。米軍が「演習に関わること」を理由に、公表しないからだ。
アメリカが他国に米軍基地を持つこと自体異常だが、日本国民の命に関わることが、米軍の都合で無視されることはもっと異常だ。
沖縄県金武町伊芸区がまとめた記録集「伊芸区と米軍基地」によると1956年以降、被弾は少なくとも35件あるという。その中には、当時3歳の女児の右大腿部を直撃した事件、民家に駐車していた乗用車のナンバープレートに実弾が直撃した事件、家の中にいた当時19歳の女性の右大腿部を直撃した事件、などがある。
銃弾事件が繰り返され、命を脅かされつづけなければならないとはなんということか。金武町の仲間一町長が「真相究明まで演習を中止してほしい」と米軍に要求しても、政府・沖縄防衛局は実弾射撃演習の中止を求めない。米軍占領下も、日本への復帰後も米軍の横暴、そして日本政府の容認は続いている。アメリカや米軍に人権、人間の命を脅かす権利はあるはずもない。
もちろん、住民たちが黙っていたわけではない。2004年、レンジ4に都市型戦闘訓練施設の建設計画が持ち上がると、伊芸区の住民たちはゲート前での抗議や監視活動を展開した。伊芸区の区民総決起大会も開催した。2005年には施設撤去を求める県民集会が開かれた。金武町が実弾演習場の撤去を求めたこともある。
米軍(アメリカ政府)と日本政府の役割をはっきりと示す出来事もある。実は、日本政府は都市型戦闘訓練施設の危険性を口実に、なんと、日本の予算で代替施設をつくったのである。ところが米軍は移転するどころか、都市型戦闘訓練施設を使用した。結局米軍は、実弾演習場として元の都市型戦闘訓練施設も代替施設も、2つとも使用しているのである。日本政府が容認したことはもちろんである。
当時、金武町議会は「抗議決議」を採択した。「(日本政府は)米国政府の言いなりになった」「私達の政府は国民の安全を第一に考えなければならない責務を放棄した」と、日本政府への厳しい批判を展開している。
米軍・米兵による性暴力、有機フッ素化合物(PFAS)を垂れ流し沖縄県民の飲料水を汚染するなど、人間の尊厳を脅かす事例は無数にある。米軍が人間の尊厳を侵し日本政府が容認する。これが日米安保体制下の日本・沖縄の現実なのだ。
金武町会議員の崎浜秀幸氏はこう言う。「日本政府がアメリカにヘイコラしていては、日本の主権も町民の命も守れないことは明らかだ」