核兵器を、この地球上から一掃しよう! 人類の悲願に向かって、長崎の被爆者らが「核兵器禁止条約の会・長崎」を結成した。「核兵器禁止条約をテコにして核廃絶に向かうのか、それとも、人類絶滅につながりかねない狂気の核軍拡競争に戻るのか分かれ道に立っています」と結成アピールは訴える。同会の共同代表でもあり、被爆二世の柿田冨美枝・長崎原爆被災者協議会事務局長に、その思いをきいた。(文責・星英雄)
なぜいま結成したのか
私たちはこれまでも核廃絶運動に取り組んできました。「ヒバクシャ国際署名をすすめる長崎県民の会」をつくって核兵器禁止条約の批准などを求めてきました。目標の50万署名を超える署名を集めることができました。そこで県民の会は解散したのですが、まだまだ核兵器廃絶と世界平和のために、できる限りのことをしたいという思いもありました。被爆者と平和団体、市民団体とが力をあわせてやってきたことを引き続き生かしたい。市民の力で、核兵器禁止条約を広めたいと考えました。
ロシアのウクライナ侵略は衝撃でした。核を使うぞと言って世界を脅すなんて、あってはならないことです。プーチン大統領の脅しを目の当たりにして、危機感が募りました。やはり核兵器禁止条約を市民のものにしたい、いっそう前進させたいと考えて「核兵器禁止条約の会・長崎」の立ち上げを決めたのです。
核兵器禁止条約は国連加盟国の6割、圧倒的多数の122カ国(国連加盟国は193)の賛同があって採択され、その後、50カ国が批准して昨年1月に発効しました。核兵器禁止条約は「非人道兵器」の核兵器の全廃をめざしています。核兵器をつくること、持つこと、使うことを禁止した国際条約です。もちろん、脅しも許されません。
核兵器禁止条約が国連で採択されて、世界はよい方向に進んでいくのだと思ったら、核で脅す国が出てきたなんて・・・。ウクライナの情勢をみていると、胸がつぶれる思いです。
私たちにできることは何か、やはり核兵器禁止条約を前面に押し出して、これを広めていくことだと思います。
被爆者の悲惨な状態が戦後77年、いまも続いているというのに、安倍元首相らが「核共有論」を唱えることに、怒りを感じます。
「核兵器禁止条約の会・長崎」の結成アピールでも言っていますが、まさに人類は核兵器禁止条約を機能させて核廃絶に向かうのか、それとも、人類絶滅につながる狂気の核軍拡競争に戻るのかの分かれ道に私たち人類はいると思います。この状況を打開するには核兵器廃絶しかありません。
核兵器大国のアメリカも、アメリカの核の傘に頼っている日本も、核兵器禁止条約に背を向けていますが、私たちは世界のすべての政府に核兵器禁止条約に加わることを求めています。
私たちは、憲法9条を守れという「九条の会」のように、核兵器禁止条約を広めたい。市民の力で市民の中に広めていく、そういう会にしたいと願っています。
行政側は被爆者国際署名にも熱心でした。毎月の街頭宣伝に、長崎県知事や長崎市長、いろんな自治体の首長さんが取り組んでくれました。宗教団体も頑張ってくれました。
長崎には「高校生平和大使」があり、長崎大学の「ユース」とか、平和推進協会のピースボランティアもあるように、平和にとりくんでいる若者たちがいることも心強い。これからも県民、市民の力で、核兵器禁止条約に取り組んでいきたい。
被爆二世として
私は被爆二世として生きてきましたが、はじめから強い自覚があったわけではありません。被爆者の母の体験をもっともっと聞いておくべきだったと、いま思います。
長崎市は2014年から「家族証言」に取り組んできました。被爆者の方々が高齢になられて、被爆者が語れない時代が来るということです。被爆者から被爆体験を継承する機会が少なくなってきていることから、被爆二世、三世ら家族が被爆体験や思いを広めていこうという試みです。
私も、学校を回って生徒の皆さんに母の「被爆体験」を話すなどしています。身近に、核廃絶運動の世界的リーダーだった谷口稜曄(すみてる)、山口仙二(せんじ)さんがおりましたので、お二人の被爆体験も活用させてもらっています。
少学校六年生の夏休みに、はじめて母の被爆体験を聞きました。思春期の入り口の頃です。これから、なにか自分の体にも影響があるのかなと思ったり、漠然と不安を感じましたが、深くは考えませんでした。
私の母は21歳のときに、爆心地から3キロメートル離れた公会堂で原爆に襲われました。長崎市の職員でした。
建物の中だったので、他の被爆者の方々のように原爆でケガをしたり、病気をしたりしたわけではありません。家族を亡くしたりしていません。でも、爆心地の学校に通い、卒業していたので、多くの幼なじみや友達を亡くしました。テレビなどで戦争のことがとりあげられたりすると、戦争だけはしてはいけない、原爆は使わせてはいけないと、口癖のように言っていました。
すでに亡くなった被爆者の山口仙二さんに誘われて、長崎原爆被災者協議会に勤務するようになりました。
被爆者の方々が、病気を抱え苦しい生活の中で、大きな運動を続けてこられたことを、私は尊敬しています。でも、平均年齢84歳です。「後を頼むよ」といわれている気持ちになります。わたしも「被爆二世」をやめるわけにはいきません。
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5月28日の〈「核兵器禁止条約の会・長崎」結成のつどい〉は、核兵器廃絶運動に力を注がれた被爆者(故人)渡辺千恵子、山口仙二、谷口稜曄各氏のメッセージ─からはじまった。被爆者の朝長万左男氏と吉田文彦長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)センター長が「核軍縮の再起動、長崎から」をテーマに対談。「核兵器禁止条約の会・長崎」共同代表と9つの賛同団体が公表された。
共同代表=朝長万左男(長崎県被爆者手帳反の会 会長)、川野 浩一(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会 議長)、本田 魂(長崎原爆遺族会 会長)、田中 重光(一般財団法人長崎原爆被災者協議会 会長)、柿田富美枝(一般財団法人長崎原爆被災者協議会事務局長(被爆二世))
賛同団体=長崎県被爆者手帳友の会、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会、長崎原爆遺族会、一般財団法人長崎原爆被災者協議会、長崎の証言の会、原水爆禁止長崎県民会議、原水爆禁止長崎県協議会、核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会、長崎県生活協同組合連合会