沖縄差別・基 地・安保

星英雄:市民の抵抗こそ社会変革の原動力

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先月、岩国市の「愛宕山見守りの集い」を訪れた際、スピーチの機会がありました。若干の補正を加え、そのスピーチ内容を掲載します。

いまという時代はどういう時代でしょうか。私はアメリカに頼らない安全保障の時代、日米安保条約・日米安保体制が問われる時代がやってきたと考えています。

毎日新聞は元旦から「安保条約60年」を問う連載記事を掲載しました。朝日新聞としんぶん赤旗も随時、安保60年を問う記事を掲載しています。

朝日新聞は、アジア・日本から退いていく米国と台頭する中国のはざまで日本は試練に直面している、というのが基調です。「中国や北朝鮮をめぐって、日米のズレが露呈してきた」とも書いています。これらの認識は間違っていないと思います。ただし同紙は、日米安保条約・日米安保体制については肯定する立場です。

アメリカに頼る安全保障の時代の終わりの始まりがやってきたと思います。昨年、驚く出来事がありました。トランプ大統領が「日米安保条約は不平等だ」などと発言し、その後来日したボルトン補佐官は在日米軍駐留経費の4~5倍増を要求したのです。このことにも驚きましたが、日本の世論がほとんど反応しなかったことにはもっと驚きました。政党もあまり反応しませんでした。

トランプ大統領は、中東からの撤退を主張しています。今回のアメリカ・イランの争いをみて、「アメリカの中東覇権は終焉した」という論者も現れています。

私は、アメリカの「力」の低下の表れだと思います。「危険で無能」と言われるトランプ大統領ですが、「アメリカファースト」はトランプ流の「力」の低下の表現ともいえると思います。

経済的に覇権を支えられなくなってきていると思います。ベトナム戦争の敗北、テロとの闘いといって始めたアフガン戦争など「終わりなき戦争」にアメリカ国民は疲弊し、厭戦感情が米国内に浸透しつつあるのが実情です。

パックスアメリカーナの終わりが言われはじめたのは、もう10数年前になります。パックスアメリカーナとは、アメリカの「力」による平和、アメリカの軍事力による秩序の維持のことです。日本の米軍基地から朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガンやイラクへの出撃もその一環です。

そのパックスアメリカーナが維持できなくなってきているのがアメリカだと思います。

オバマ前大統領が「アメリカは世界の警察官ではない」といったのは2013年でした。「アメリカファースト」を掲げるトランプ氏もまた「アメリカは世界の警察官ではない」という考えの持ち主です。

日米安保は核安保です。安倍政権が2013年に策定し、日本政府の外交・防衛政策の指針とされる国家安全保障戦略は、アメリカの核兵器に依存することを明記しています。防衛大綱もそうです。その核安保は、核兵器禁止条約という国際的な運動に包囲されています。

日本でも困難に直面しています。

10年ほど前に、外務省の元高官を取材したことがあります。その人物は「日米安保は基地問題だ」と語りました。基地に反対する住民がいる、運動が広がることを恐れているのです。

毎日新聞1月5日の記事は、米軍が厚木でFCLPを実施しようとしたことに対し、防衛省幹部は「そんなことをしたら日米同盟が壊れてしまうからだめだ」といったと報じています。

馬毛島を購入して演習基地としてアメリカに提供することは、実にバカげたことですが、艦載機などに反対する住民の運動を恐れていることの証でもあると思います。

つまり、米軍基地の存在こそ日米安保のアキレス腱なのです。

現行安保条約は岸信介内閣のときから、アメリカの日本防衛義務を条約に明記したことを自慢してきました。その見返りに、基地を提供する義務を負った、としてきました。5条と6条です。

ところが、もう10年以上も前から「アメリカは日本を守らない」という不安が、自民党安保族、日米安保ムラの人々から表明されるようになりました。「日本のために、アメリカの若者の命を犠牲にするはずがない」というわけです。

安全保障、国家の論理としてもそうなのです。キッシンジャーの有名なセリフがあります。「歴史上、国家が紙切れ1枚に運命をゆだねたことはない」と。これに栗山尚一元外務次官・駐米大使が同意したこともあります。

アメリカが日本を守らないなら、基地を提供する義務はなくなるのが当たり前ではないでしょうか。そもそもいまどこの国が日本に攻めてくるというのでしょうか。

世界的に「民衆の運動が社会を動かす」時代に入ったと思います。

東京新聞は1月「民衆の叫び 世界を覆うデモ」という連載記事を掲載しました。週刊東洋経済ではノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツが「世界中に不満が蔓延している」と語っています。グレタ・トゥンベリさんの呼びかけにこたえる環境運動も広がっています。

元沖縄大学学長の新崎盛暉さんは辺野古のゲート前の闘いを評して「沖縄民衆の運動が新しい時代を切り拓く」と言いました。「愛宕山見守りの集い」の座り込みもそうだと思います。

基地は人間の命と尊厳を脅かす元凶です。「国家の安全保障」から「人間の安全保障」へと向かうのが時代の流れです。「市民の抵抗・民衆の闘いこそ、社会を変える原動力」です。がんばりましょう。

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