沖縄差別・基 地・安保

親富祖愛:ブラックとして沖縄に生まれ育ち、BLMと米軍基地について思う

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〈親富祖愛(おやふそ・あい)さん(37)は、草木染めデザイナーだ。4人の子どもの母親でもある。夫と2人で沖縄・本部町の町営市場で「Ai&Dai desings」(アイ・アンド・ダイ・デザインズ)を営んでいる。昨年、アメリカのBLMと連帯し、米軍嘉手納基地の通りでBLMピクニックを実現し、『BLACK LIVES MATTER PICNIC』(ブラック・ライブズ・マター・ピクニック)という冊子を作製した〉

私はブラックだから、沖縄でも差別されてきました。その意味で、BLMの当事者でもあると思っています。家族のため、同じブラックのため、沖縄や日本に暮らす同じ境遇の子どもたちのために私は自分がするべきことをしたいという気持ちです。

〈親富祖愛さん=本部町町営市場の「Ai & Dai Designs]」の前で。撮影時以外はマスクをしています〉

BLMピクニックは昨年6月、SNSで呼びかけて実現しました。

「BLACK LIVES MATTER 」「黒人の命も大事だ」・・。30人ほどの参加者はみんな、思い思いのプラカードを持って、沖縄市・コザ十字路の通りをゆっくりと行進しました。私は「I will not hate you so don`t hate me too」と書いたプラカードを持ち、子どもたちといっしょに行進しました。

米軍嘉手納基地の通りでBLMピクニックをした時、考えていた以上の反応に驚きました。嘉手納基地は空軍の基地だから白人が多く、攻撃されるかもしれないとか、反応もあまりないんだろうという認識だったのです。

ところが予想とは違って、ハグしてくれた黒人女性やクラクションを鳴らしてくれた白人男性もいました。参加者の1人、普段は米軍基地反対の女性が、「ピクニック」では米軍関係者と笑顔でつながれた、と感想を述べていました。本当にそうだったと思います。

アメリカのBLM(Black Lives Matter=黒人の命も大切だ)は瞬く間に世界へと広がりました。2020年5月、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、黒人のジョージ・フロイドさんが、偽札を使用した疑いをかけられ白人警察官に殺されました。黒人男性の首を膝で強く押さえつけて死亡させる様子は、映像で世界中に発信されました。きわめて衝撃的でした。

アメリカでは肌の色が違うということだけで、命の危険が伴います。

白人にはこういう事件は起きません。

新型コロナウイルスの問題でも、感染したりなくなったりする割合は、白人よりも黒人やヒスパニック、先住民が圧倒的に高い。黒人に対する暴力や構造的な人種差別はアメリカ社会の中に間違いなくあるものです。ただ、沖縄で私たちがやったBLMへの反応を見ても、アメリカのなかにも、素直に受け止める気持ちを持った人々はいるんだ、と思ったりもします。

それは冊子の注文だったり、「辺野古に連帯しよう」などのツイートをみても、アメリカ人の反応はストレートだと感じました。私たちの「ピクニック」を介して、つながったアメリカ人はたくさんいます。

沖縄はチャンプルー文化とみられているが、そうなんでしょうか。チャンプルーとは「混ぜ合わせたもの」というような意味の、沖縄の言葉です。しかし、チャンプルー文化といわれるほど沖縄で多様性が尊重されているのかといえば、そうではないと思います。

沖縄にも人種差別はあります。一番悲しかったことは、私が生まれると分かった時、親族が反対したことです。もっとも、生まれた後はかわいがってもらいましたけど。子供のころは
足が速かったので、私の努力は知ろうともせず、ただ単に「黒人だから」といわれました。肌の色が違うことで、様々な差別を受けて成長してきました。

アメリカで育った友人の話では、小さい子どもたちはだれとでも遊びますが、成長するにつれて親が差別するかを見ているんです。私の子どもたちの学校の様子を見ていて、沖縄でもそうだと実感しています。沖縄での黒人やブラックルーツをもつ人達への人種差別は私が小さい頃から変わっていないと思います。

いまは沖縄でも日本でも、両親ともに、あるいはそのどちらかが外国人であるバイレイシャルの子どもたちは珍しくありません。人種差別は時代遅れだし、許されないことです。黒人兵であった私の父は、私が4歳の時に除隊しアメリカに帰りました。母とも離婚しました。でも、今も父とは連絡を取り合っています。いまは自分のルーツに誇りを持っています。

「本土」の人たちは、日本には差別がないといいますが、何をいっているのかなと思います。在日朝鮮・韓国の人たちに対する、そして沖縄に対する差別は誰もが知っている事実ではありませんか。

沖縄に米軍基地は必要ありません。米軍基地の問題を認識するうえで、私にとって大きかった出来事は2012年9月、アメリカは沖縄県民が反対しているにもかかわらず、普天間基地にオスプレイを強行配備しようとしたことです。これはおかしいと思いましたね。

当時、夫はまだ勤めていたんですが、「仕事にいってる場合じゃないよ」ということで、親しい人たちと一緒に普天間基地の大山ゲート前に行きました。オスプレイ強行配備に抗議して、自作のプラカードを持ちゲート前に立ちました。

それ以前は、子育てでいっぱい、いっぱいの状態でした。基地は小さい時から身近にあったし、基地があることから発生する事件もありました。父が元軍属だったこともあり明確に基地を否定できなかったこともありました。それが、基地はあってはいけないものだ、とはっきり意識が変わったのはこの時からです。

県民のなかには、基地にたいする憧れみたいなものもあります。戦争の時代からアメリカには豊かな物資があり、米軍基地の中もそうでした。

隣にアメリカがあるという感覚もあります。思いやり予算のことを知らないから、基地は悪いものじゃない、と思い込んでいることもあるでしょう。でも、基地はいらないんですよ。

沖縄戦があって、県民の4人に1人が亡くなりました。米軍基地はそこから考える問題です。性暴力も、事件・事故も基地があるせいで起きているのは確かです。日本の政府もアメリカの政府も人権を保障しません。米軍基地は県民の犠牲のうえに成り立っているんです。

黒人差別も米軍基地の問題も、どちらも社会に組み込まれているシステムの問題じゃないですか。システムを変えないといけない、と私は思います。変えられると思いBLMピクニックも実行しました。

〈『BLACK LIVES MATTER PiCNiC』冊子の表紙。各人の思い思いのメッセージを掲げて行進する姿が〉

冊子『BLACK LIVES MATTER PiCNiC』は、沖縄や日本にBLMは関係ないのか、いっしょに考えてみよう、とつくりました。読んでみてくれるとうれしいです
〈冊子購入はblmpicnicoki.localinfo.jpから〉

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自然食の店「すこやか農場」の 崎浜さん、おにぎりありがとうございました。おいしくいただきました。愛さんにも、コーヒー豆をいただきました。帰宅してから、おいしく飲んでもうなくなりました。小さな町の町営市場は温かさに満ちていると感じました。(星英雄)

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