沖縄のいま

新崎盛暉:沖縄の民衆運動が新しい時代を切り拓く

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沖縄の民衆運動は新しい時代を切り開きつつあると思います。昨年1月の名護市長選、11月の県知事選、12月の衆院選の結果を見れば、民衆の闘いこそが沖縄の政治を動かしていることがよくわかります。

現場の運動と選挙がこれだけ密接に結びついたことは過去にないと思います。翁長さんは県知事選の告示日に、辺野古のキャンプシュワブ第1ゲート前で第一声をあげました。従来は、革新の候補者でも那覇市の中心部でやるほうが得票面では効果があると考えられてきたのに、今回は違いました。

知事選後も、衆院沖縄小選挙区で当選した4人が連れだってゲート前に来て、これからいっしょにがんばりますと、当選の報告をし、座り込みの人たちの喝采を浴びました。まず新基地建設反対の運動があって、それが政治家たちの政治活動の基盤になっているのです。

海で海上保安庁と対峙し、陸のゲート前で警官隊と対峙している辺野古の現場が、革新系の議員だけでなく、これまで民衆運動と直接の結びつきが少なかった新基地反対の保守系の議員にとっても、政治活動の足場になっていることを示していると思います。

座り込みをしている人は200人とか300人です。そこだけ見ていると決して多くはないが、その現場から沖縄中に波及していく共鳴度はすごく強い。辺野古の現場に来る人たちは労組が動員をかけて集まるという昔の組織動員型ではない。集会のときにバスを出す主催者側がどれだけくるかわからないという形で人が集まる。そういう新しい運動の現場になっています。

こうした運動と政治の関係があたりまえのように出てきているのが、いまの沖縄です。辺野古新基地建設に反対する運動は、すでに単なる基地反対運動ではなく、沖縄の民衆運動として広がりを持って発展し、沖縄のなかできわめて重要な役割を担っている。このことはみんなが感じていることだと思います。

沖縄の戦後の民衆運動はどうだったでしょうか。米軍政下の27年間、よく引き合いに出される1956年の島ぐるみ闘争は沖縄民衆の怒りの爆発でした。しかし、日本に差別されているという認識には至っていません。

1972年の日本復帰は、日米両政府による沖縄民衆運動のガス抜きでもありました。復帰の実態がみえてくるなかで、沖縄返還政策への批判がいろんな形で出てきました。復帰運動の出発点は平和憲法下への復帰でしたが、基地が集中的にしわ寄せされているせいで復帰後も人権が保障されないことに変わりはありません。ベトナム戦争のなかで、沖縄こそベトナム攻撃の拠点であることもわかってきました。

少女暴行事件があった95年は、東西冷戦の終焉で、沖縄の基地を正当化してきた論理が崩れはじめてきたころです。沖縄民衆の怒りにたいして日米両政府はSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)を立ち上げ、普天間基地の返還でなだめようとしました。しかし、辺野古に普天間の代替施設をつくることが条件だったので、ふたたび県民の怒りをよんだのです。

結局、沖縄は利用されているだけだということがわかりはじめ、それまでは仕方ないといっていた保守の中にも反発が生じてきました。沖縄返還のころから、沖縄の政党が日本の中央の政党の系列下に組み込まれ、沖縄の地域共闘も分断される状況がつづいてきたが、それも変化してきたのです。

いま安倍政権が強行している辺野古の新基地は、中身もやり方も特別に悪質です。日米両政府は辺野古につくる新基地について、海上ヘリポート、15年使用期限つき軍民共用空港、そしていまのV字案と、中身を変えてきました。3回目の現行案は2回目までとは違って、沖縄県知事や名護市長さえ何らかかわっていない、日本政府が一方的に押し付けてきているものです。

安倍政権はアメとムチの政策、というよりも恫喝路線によって強権的にことを進めています。沖縄の自民党国会議員らをひっくり返し、仲井真知事(当時)を裏切らせた。そこで決着したつもりだったのでしょうが、民衆は当然のこととして反発を強めました。そのため、保守が割れたのです。

沖縄の保守は国家、中央との関係を重要視しています。保守にとってはある種の権威として中央があるのです。ところが民衆は違います。

ですから、沖縄の保守は民衆と中央の間でつねに板挟みなのです。以前は基地に依存していたから日本政府に従っていたが、依存しなくてよくなったから反対するというだけでなく、もう中央にたいする我慢も限界だ、となったわけです。

革新の側にも、新しい動きが見えました。衰退する革新側は新基地建設を止めるために保守と組んだが、革新系の組織や個人からは翁長氏でいいのか、前回知事選で伊波洋一氏で闘った選挙総括をしたのかといった疑問が噴出しました。しかし、そんな疑問を革新の側は無視あるいは軽視したところがあります。でも、市民として運動をはじめた比較的若い人たちが、翁長氏に直接疑問をただしにいって、翁長氏がそれに応じたのは、沖縄の民主主義の前進として評価できるのではないでしょうか。

ヤマトと沖縄が違うのは、沖縄の現場は目の前に課題がいつもあることです。辺野古がそう。教科書問題もある意味そうです。日本で唯一の地上戦の体験者がほとんどいなくなっても、それなりに受け継がれているのが沖縄です。それが「オール沖縄」の土壌なのです。

〈新崎盛暉さん=2015年1月撮影〉

どこの家でも子や孫がおじぃ、おばぁといっしょに生活していて、おじぃ、おばぁがしゃべろうがしゃべるまいが、家庭の雰囲気、そして社会の雰囲気から継承してきているものがあります。80年代以降、教科書問題が起きると、それをきっかけに沖縄戦の体験が深まっていくわけです。

地元新聞の記者も上の世代はどんどん定年退職していって、次の世代が担っています。そういう形の継承があり、目の前に基地がある。そういうなかで、様々な色合いの違いをもちながら、今回の「オール沖縄」ができています。

ヤマトに期待することは安倍政権の沖縄敵視政策、蔑視政策を徹底的に批判しうる運動、沖縄と具体的に連帯しうる運動を作り出すことです。名護市長選挙からはじまった沖縄の選挙で、辺野古新基地建設を争点にした選挙はぜんぶ新基地反対派が圧勝しました。にもかかわらず安倍政権は、翁長知事の就任あいさつも門前払い、一切話し合いの場を持とうとしない。海上保安庁や警察の暴力行為も野放し。これが民主主義の日本と言えるのか。暴力的植民地支配ではないのか。怒りを禁じえません。

仲井真知事を裏切らせ、あやつり人形として使い、沖縄の問題はカネで解決できると全国に向かって宣伝したのが安倍政権です。安倍政権を生み出した2012年12月の選挙で、自民党本部と違う公約を掲げた沖縄の候補者を公認して議席をせしめたうえで、ひっくり返す。どこまでも有権者蔑視、民衆蔑視の安倍政権は許し難い。

安倍政権にとって一番「弱い環」は辺野古の新基地建設問題だと思う。安倍政権は特定秘密保護法を制定し、閣議決定だけで憲法の解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認、富裕層優遇の経済政策をかかげ、そして辺野古新基地建設を強行する。これらは一連のものだと思うが、なかでも、新基地建設の問題です。

県民が辺野古で警官隊とぶつかり、海上保安庁に苦しめられながら、体を張って闘っている姿に、全国的に共感が広がりつつあります。辺野古新基地建設阻止は、民主主義という観点から見ても、環境保護の観点から見ても、平和という観点から見ても、もっともわかりやすい闘いのテーマです。辺野古新基地建設が阻止されれば、安倍政権の政策全体が行き詰まり、辺野古新基地建設がこのまま進行すれば、日本の未来は暗澹たるものになるでしょう。沖縄の新基地建設は沖縄だけの問題ではないのです。

沖縄では「自己決定権」について、さまざまに語られるようになってきています。私はかつて、沖縄返還協定のころに、協定を沖縄の住民投票にかけるべきだと主張しました。それが自己決定権です。1人1人の抵抗権行使が積み重なって自己決定権が作られる。闘いの結果として自己決定権があると私は考えています。1997年12月、「海上基地反対」を示した名護の市民投票は日本政府に踏みにじられたけれど、いま沖縄の民衆運動は、きわめて強権的な安倍政権と対峙して、自分たちの未来を切り拓く段階にきています。そして、これからが正念場だと思います。〈初出は「連帯・共同21」( http://rentai21.com)2015年2月19日〉

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