沖縄差別・基 地・安保

星英雄:私たちが知らなければいけないこと 町田のパネル展をみて

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パネル展「軍隊は女性を守らない~in沖縄」を訪れた。町田市民ホールの小さな会場ではあったが、内容は濃密だった。主催は、「戦争と女性」パネル展実行委員会。

「沈黙の声─米軍の性暴力に抗して」の前で釘付けになった。「新聞や書籍、証言などで明らかになった米兵による性暴力事件」について、300を超す事例が並べられている。しかしそれらは「氷山の一角」にすぎず、「沈黙の声」の背後には、「告発できなかったたくさんの女性たちの被害があり、苦しみは今も続いています」と説明は続く。

沖縄の現実を直視しなければいけない。

敗戦直後。「1945年、私の娘が目の前で米兵に拉致されました。大声で助けを求め、米兵の手から娘を奪い返そうとしましたが、足蹴にされ、娘は連れていかれました。その後、消息はわかりません。宜野座村」

「1945年9月24日、男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま2人の米兵に拉致される。男性2人は米兵に銃をむけられ、抵抗不可能だった。母子は2年後に白骨死体でみつかった。石川市」

「1948年7月26日、洗濯にきていた34歳の女性が米兵に拉致され、5日後の8月1日に遺体で発見される。遺体は強かんされたあとがあり、重石が胸部にのせられていた。数人による犯行とされる。嘉手納村」

沖縄は1972年5月15日に、日本国憲法下の日本に復帰したが、事情は今も変わらない。
「1982年8月1日、33歳のホステス、新築工事中の建物内で米軍上等兵に強かんされそうになったため抵抗し、絞殺される。名護市」「1984年10月、学校からの帰宅途中、3人の米兵に"I can kill you"とナイフで脅され、公園内で強かんされました。私は高校2年生、17歳でした。沖縄市」
1995年、米兵による少女暴行事件。2016年、米軍属による20歳女性の強かん殺人事件。まさに「軍隊は女性を守らない」。

パネルはほかにもある。「近代沖縄の女性たち 日本への同化と、戦争の犠牲」、〈住民に強いられた「集団自決」〉等々。

日本軍が沖縄に設置した慰安所の位置を示した「沖縄・慰安所マップ」も大きなパネルだ。「1944年3月に第32軍が創設されてから沖縄戦が始まるまでの1年間に、のべ130カ所以上の慰安所が作られました。日本軍が配備された場所には必ず慰安所が設置された・・・」との説明。沖縄戦の中心だったのが第32軍、牛島満司令官はよく知られている。

今や沖縄は基地のある地域だけでなく全体が米軍の演習場と化している。米軍機が現れると児童は非難しなければならない。オスプレイの騒音や墜落の恐怖、いつ人命を奪われるかしれない状況は敗戦時から今に続く。

女性はもちろん、沖縄の人々の、つまり日本国民の命と尊厳を犠牲にする日本の安全保障政策、日本の在り方が根底から問われている。

パネル展の入り口にはこう書かれていた。

「沖縄の女性たちの声を聞いてください。私たちが知らなければならないこと、私たちも声をあげて行動しなければならないことが、わかってくると思います」

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