戦後、米軍の完全占領下で苦しんできた沖縄人民が、平和と人権と民主主義を求めて祖国復帰運動を進め、ついに1972年、日米政府は、「核抜き・本土並み返還」との触れ込みで祖国復帰を認めた。しかし、核は隠され、基地は本土並みにならず残され、多くの沖縄県民は騙された。
祖国復帰闘争碑は、後半部分で「1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず。日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない、闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類の永遠に存在し、生きとし生けるものが、自然の摂理の下に行きながらえ得るために、警鐘を鳴らさんとしてある」と述べている。
1995年、少女暴行事件が置き、日米政府によって、米高官でさえ「世界一危険な基地という」米軍普天間基地の返還が約束されたが、沖縄東海岸への代替施設移転が条件として含まれ、多くの沖縄県民は騙された。この代替施設移転条件を基に、政府は、「米軍普天間基地の返還は、辺野古の新基地建設が唯一の条件」と言って来ました。しかし、2017年6月15日、当時の稲田防衛相は、「辺野古に(1800メートルの滑走路付きの)米軍新基地が完成しても、(普天間の2700メートル級の滑走路の代替が保証されない限り)、米軍普天間基地は返還されないと洩らしてしまった。ここでも何らの相談もなく沖縄県民を騙して、日米密約で政治が進められている。この沖縄県民への騙しは、この騙しのみでも辺野古の米軍新基地建設撤回の十分な理由になると考える。
私は、2007年から春秋各1週間づつ沖縄名護市辺野古の米軍基地新設反対の非暴力直接行動としての座り込みに参加させてもらっている。そこでのオジイ・オバアから基地は人殺しの準備をする所と教えてもらった。政府は、そんな憲法違反の軍事基地の新設を押し付け、工事が遅らされたと1日2000万円もよこせと検討中という。これは、強盗猛々しい論理と言わざるを得ない。
米軍に最も恐れられた男と言われた瀬長亀次郎さんは、「沖縄の土地は、一握りの砂も、一坪の土地も、日米政府のものではない。沖縄県民のものだ」と演説しました。
沖縄県民の民意に反して人殺しの準備をする所を押し付ける日米政府の暴政に対して、沖縄と本土の大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うならば、強大な力を発揮し、戦後、平和と人権と民主主義を求めた祖国復帰運動を完成させられると考える。
これには、日本国民が【戦争する国づくり】を進める安倍自公政権を打倒し、市民と野党が共闘する野党連合政権に替える以外にないと考える。
また、故翁長雄志知事選に「立候補して」参加した菅原文太氏は、「政治の役割は2つあります。1つは,国民を飢えさせないこと。安全な食べ物を,食べさせること。もう1つ,絶対に戦争をしないこと。これが最もだいじです。沖縄の風土も,本土の風土も,海も山も,空気も,風も,すべて,国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。」と遺言した。
今、子供の6人に1人は夕食が食べられないと言われている。そして安倍自公政権は、平和憲法を改悪して戦争ができる国にしようとしている。菅原文太氏の指摘から見ても、安倍自公政権は打倒し、野党連合政権に替える以外にないと考えます。皆さん、共に頑張りましょう! (2018年8月22日記、日本科学者会議埼玉支部代表幹事)