沖縄のいま

星英雄:米軍に対する裁判権がない日本

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沖縄の高里鈴代さんらが編集した『米兵による女性への性犯罪』を読んだ。

正式な名称は『沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月~2021年12月)第13版』。「琉球政府・米軍資料、新聞、書籍、証言等をもとに記録した年表」だ。・基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が編集した。

1945年3月26日、米軍が初めて慶良間諸島に上陸して以来2021年までの、700件以上のすさまじい米兵の女性に対する蛮行が記されている。

1945年「安全な場所を求めて移動していた数家族の前に銃剣を持った米兵が現れ、20歳の女性の手をつかまえて付近の民家に引きずり込み、強姦する。誰も抵抗できず、女性はしばらくして戻ってくる。(羽地村)」

1945年「芋掘り帰りの住民の列から、17,8歳の少女3人が米兵に拉致され、2時間ほどたって、泣きながら帰ってくる。一人は翌年出産(宜野座村)」

1946年「男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19際の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に拉致される。男性2人は米兵に銃をむけられ、抵抗不能。母子は2年後に白骨死体でみつかった。(石川市)」

1946年「午後3時頃、畑に行く途中の29際の女性、ジープに乗った米兵に拉致され、南風原付近の川沿いで2人の米兵に強姦される。さらにジープに乗せられて嘉手納付近の米軍兵舎に連れ込まれ、翌日午後0時半までに合計3人の兵士に11回強姦される(南風原村)」

米軍統治下から「日本復帰」後も事情は変わらない。

1995年にはこんな記述がある。「午後8時過ぎ、買い物帰りの小学生、住宅街で女性を待ち伏せていた米海兵隊キャンプ・コートニー所属の一等兵ら3人にレンタカーで拉致され、海岸近くの農道に連れ込まれて強姦される」

のちに宜野湾市で、事件に抗議する10万人規模の県民総決起大会が開かれた。

2014年「友人と飲食中の女性、酔いを覚まそうと駐車場に出たところ、米兵に口をふさがれ、ナイフを突きつけられて建物車の間で強姦される。4か月後妊娠を知るが中絶できず、男児を出産(北谷町)」

2016年「4月26日から行方不明になっていた20歳の女性、嘉手納基地勤務の元海兵隊員・軍属(32)によって強姦、殺害され、遺体で見つかる(うるま市)」

2018年「普天間飛行場内で、女性が海兵隊員に強姦され、訴えるが、日本の検察は裁判権を米軍に譲る」

2021年「米海兵隊上等兵、女性を強姦しようとし、ケガを負わせる。周辺住民からの通報で県警が現場に駆けつけたが、容疑者は基地内に逃走。12月3日に書類送検する」

日米地位協定の正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定及び関連情報」だ。

日米地位協定第17条は、刑事裁判権を規定している。ところが、アメリカ側が解禁した「日米合同委員会裁判権小委員会の非公開議事録」では、日本政府は「日本にとっていちじるしく重要と考えられる事例以外については、第一次裁判権を行使するつもりがない」ことを密約していたのである。(新原昭治『日米「密約」外交と人民のたたかい』p181)

沖縄県の「他国地位協定調査中間報告書」(2018年)にも、同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツやイタリアと日本は著しく違うと書かれている。「在日米軍には日本の国内法は原則として適用されていない」と明記されているのだ。

アメリカには毎年、ジャーナリズム・文学・音楽の分野ですぐれた仕事をした人に贈られるピュリッツァー賞がある。アメリカの歴史学者ジョン・ダワーの日本の戦後を描いた『敗北を抱きしめて』はピュリッツァー賞を受賞したが、その(上)にはこんな記述がある。

「内務省は全国の警察管区に秘密無電を送り、占領軍専用の『慰安施設』を特設するよう指示した」(2001年発行、p150)

日本人ジャーナリストの山田盟子は『占領軍慰安婦 国策売春の女たちの悲劇』でこう述べる。

「昭和二十年八月二十一日、永田町の首相官邸では、慰安婦会議がなされた」「閣議は近衛の意見を取り入れ、占領軍向けの売春組織である『国際親善協会RAA』が、誕生した」(1992年発行、p25)近衛とは、3度にわたり首相を務めた近衛文麿のこと。戦争推進勢力だった。

なにやら、同じ構図ではないか。占領軍による性被害を小さくするために、自国民の一部に犠牲を強いる国策売春。

沖縄という1地方に基地を集中することで米兵による性被害から多くの国民の目をそらせる自民党政治。

自民党政治を許すな!

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