連帯

星英雄:「特高顔」の菅首相がもの言えぬ日本にする 学術会議任命拒否問題

投稿日:

菅首相は国民がもの言えぬ警察国家をつくろうとしている。日本学術会議法に反して任命を拒否しても、主権者国民に対する説明責任を果たさなくても、へいちゃらだ。「オレが憲法・法律だ」と言わんばかりの独裁政治を許してはならない。

首相の「特高顔」が怖い──。
と言ったのは、作家の辺見庸氏だ(毎日新聞10月28日夕刊)。「特高」は特別高等警察の略称、思想を取り締まる警察のことである。あの暗黒時代と特高は切り離せない。

日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を菅首相が拒否した問題について辺見氏は語った。「彼は昔の特高(戦中の特別高等警察)の仕事をしてると思う」
「菅さんっていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出てくる特高はああいう顔ですよ」「執念深い。今まで(の首相が)踏み越えなかったところを踏み越える気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね」

特高は映画にもよく登場するという。「特高」について調べた荻野富士夫著『特高警察』(岩波新書)は、こう記す。黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」や山田洋次監督の「母べえ」を例にあげながら、特高の仕事は「アジア太平洋戦争の開戦前、戦争反対の思想の持ち主への弾圧だった」──。特高がどこで監視の目を光らせているかわからない不安、人々は沈黙、隷従を強いられた。

特高はあの暗い時代、1911年から1945年まで存在した。膨大な機密費を自由につかい、スパイ、買収、拷問、虐殺などあらゆる手段を用いて反政府的な活動を弾圧し、国民の自由・権利を侵害した。学問の自由を侵し、思想弾圧事件として歴史に残る滝川事件や天皇機関説事件も、この時代のことである。

前出『特高警察』は、特高とナチスのゲシュタポとの共通点についても指摘している。「取調べの手法、スパイの活用などの抑圧取締りの方法・ノウハウ」は「あらゆる『秘密警察』に共通する普遍的なもの」と言う。

特高は戦後日本の民主化の過程で廃止されたが、その後、公安警察として復活した。『特高警察』はこう書いている。〈罷免・「公職追放」されていた旧特高警察官の多くが「公安警察」部門などに復帰し、かつての経験・ノウハウを活かしていく〉──。

菅首相はなぜ6人の任命を拒否したのか。菅首相はやっと開かれた衆参予算委員会でも、答弁は2転、3転し、しどろもどろになったが、任命拒否の理由を明らかにはしなかった。議論に関係なく、任命拒否を押し通すつもりなのだ。

国会は審議の場である。憲法や法律違反にかかわることを議論しているというのに、そんなことにはお構いなし。「黙って俺に従え」というのか。「たたき上げ」を売りにする菅首相だが、恐ろしい権力者の素顔を見せている。

日本学術会議法第7条1項は「 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員をもつて、これを組織する」とある。そもそも6人が欠員の状態は日本学術会議法に違反する。

また、同法7条2項は学術会議の「会員は第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」と規定している。同法第17条は「優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦する」としている。

学術会議の会員の選出方法が選挙から任命制に変わった1983年、国会審議の中で、中曽根首相(当時)は明言している。「学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障される」

つまり、政府は「形式的任命」を行うだけなので、「学問の自由独立」は保障される。「形式的任命」でなくなれば、政府が日本学術会議の人事に介入するようなことになれば、日本国憲法23条「学問の自由は、これを保障する」が脅かされることになる、と中曽根首相は明言していたのである。

任命を拒否された6人を見れば、菅首相の狙いもはっきりする。

2人の大学教授は国会審議の場で、安保法制を批判したり、共謀罪法案を批判した。他の4人も、安保法制に反対、辺野古新基地建設での政府の対応を批判、秘密保護法に反対の立場を表明している。どの場にいても監視され、政権に異を唱えると弾圧されるのだ。嫌な世の中になってきている。

菅政権は個々の学者に止まらず、日本学術会議そのものをターゲットにしている。なにしろ、「任命権は首相にある」とまで、言い出している。根拠のないことを平気で言う。まるで、アメリカのトランプ大統領のようだ。

菅首相は日本学術会議そのものが気にくわない。なにしろ日本学術会議は侵略戦争に協力した反省から出発している。2017年にには「軍事的安全保障研究に関する声明」を出し、その影響で大学は軍事研究に慎重になった経過がある。

自民党も日本学術会議の「あり方」を問題にし、河野行革担当大臣も行革の対象にしようとしている。菅首相にならって、日本学術会議そのものをターゲットにしていることの現れだ。

安保法制も、秘密保護法も、共謀罪法も、そして辺野古新基地建設も、どれも日米軍事同盟・日米安保体制──アメリカを策源地とする軍事力の信奉の結果なのだ。

憲法も法律も無視する菅首相を支えているのは、任命拒否のキーパーソンとされる杉田官房副長官らあの公安警察出身の「官邸官僚」だ。菅政権の中枢を担う北村国家安全保障局長も公安警察出身だ。

杉田官房副長官は、前川喜平元文科省事務次官の身辺調査をしていたことでも知られている。警察庁警備局長など公安畑を歩み、内閣情報調査室長を務めた。情報のプロだ。

79歳という異例の高齢でありながら、杉田官房副長官がなぜ重用されるのか。「人事」が得意技の菅首相にとって欠かせない人物だからだ。菅首相は、官房長官だった安倍前政権の時から、人事権によって、官僚たちに沈黙と忖度を強いてきた。

菅首相は安倍政権では官房長官として、森友・加計疑惑、桜を見る会の疑惑を抑え込むことでも主役だった。「健全な民主主義の根幹を支え」、「国民主権の理念」にのっとってつくられた公文書管理法をふみにじって、公文書の改ざん、隠ぺい、破棄などの犯罪を可能にしたのも、官僚たちを恐怖政治で支配したからだ。

安倍前政権もそれを引き継ぐという菅政権も、「政権にたてつくことは許さない」という、排除・粛清の論理で一貫している。安倍前首相や、菅首相のように侵略戦争を反省しない思想で日本を染め上げようというのか。

日本やアジア諸国の大きな犠牲を伴った侵略戦争の時代と現在を分かつのは日本国憲法の存在だ。なかでも、「天皇主権」から「国民主権」への転換こそ象徴的だ。

日本国憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存する」とうたっている。

選挙に勝てば何をやっても許されるわけではない。主権者・国民こそ政治の主役なのだ。首相の言動を批判する自由も当然持っている。そうでなければ日本は「暗黒社会」になる。

菅首相は憲法15条を引き合いに、あたかも日本学術会議の任命権者は首相であるかのように主張しているが、全くの無理解である。憲法15条1項は、国民主権の一環として「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と明記しているのであって、首相の権限とは書いていないのだ。

任命拒否がまかり通れば次は国立大学の学長人事だろう。国立大学法人法は「学長の任命は、国立大学法人の申出に基づいて、文部科学大臣が行う」(12条)となっており、日本学術会議法とそっくりだ。その後は国民が沈黙と忖度を強いられ、もの言えぬ社会となっていくだろう。

この問題は学者の問題だけではない。主権者である国民、私たち1人1人の問題なのだ。

ナチスの迫害を生き延びたドイツ人牧師・ニーメラーの警句が伝わっている。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。・・・彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

日本学術会議が直面する首相の任命拒否事件は、対岸の火事ではない。われわれはいま、「特高」同然の首相という恐ろしい事態に直面している。日本を暗黒社会にしないために、今こそ声を上げる時なのだ。

-連帯

Copyright© 沖縄を考える , 2020 All Rights Reserved.