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金城武政:辺野古新基地反対運動の先駆者、大城敬人(おおしろ よしたみ)名護市議の勤続40年を祝う

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辺野古新基地建設を阻止するために沖縄県民が座り込みをつづけている米軍キャンプシュワブのゲート前は、この日(2020年7月15日)ばかりは大城敬人デーだった。敬人さんは全国市議会議長会から勤続40年以上の特別表彰を受けた。座り込み参加者のみんなで祝った。大いに盛り上がった。

今回の特別表彰は、全国で19人。そのうち沖縄県からはただ1人の表彰だった。ぼくは「ティダの会(大城重吉代表)」で敬人さんと行動を共にしてきたので、健康面に不安を抱えながらも辺野古新基地建設反対運動でぼくらを引っ張ってきている敬人さんに尊敬の念を抱いている。今回の表彰はうれしくて仕方がない。

大城敬人市議と勤続40年の表彰状

高校生時代からの友人山城利正さんは高校時代や選挙のエピソードを織り交ぜてお祝いの挨拶、参議院議員の高良鉄美さんも敬人さんのために駆け付けて祝辞を述べてくれた。「クッション」の稲葉博さんらからは花束が贈られた。皆さんのお祝いに対する敬人さんの返礼の話も心に残った。以下は、敬人さんの話。

──私たちの新基地建設反対の闘いのさなかに貴重な時間をいただいて、42年間の議員活動にたいする全国市議会議長会の特別表彰に対して皆さんの温かいお祝いに、心から感謝します。大変うれしいです。

1978年、38歳で議員になりました。告示日に長男が生まれ、当選しないと恥ずかしいよ、と励まされました。議員活動を始めた時の市民との公約があります。私が「市民の小使」になる、というものです。「税金を払う市民が私の雇用主だ」というのが私の信条です。私を使わないと損をしますよ、と市民のために働いてきました。

最初の議会から一般質問をし、先月の6月定例議会まで、脳梗塞で倒れた時もあったけど、1回も休まず市民の声を議会に反映させてきました。

議員活動のうち、みなさんに誇りに思ってもらえるような3つの質問を紹介します。

まずは医療費の減額制度の問題です。皆さんの医療費、特に入院した時の医療費が高額で心配だったと思います。名護市議会でわたしが初めて取り上げ、いまでは国の制度となりました。

当時がんで月100万円、2カ月請求された方がいましたが2万9000円で済みました。かつては入院医療費の心配もあったが、入院患者の方が安心して病気を治せるようになりました。

二つ目は、国の法律を変えたことです。当時、吸引する酸素量に保険はききませんでした。低肺機能の方は保険がきかないから、酸素が買えなかったのです。カネの切れ目が命の切れ目だったんです。私が議会で取り上げ質問し、NHKも低肺機能の問題を取り上げました。その問題に取り組んでいた田中美智子衆院議員とともに国を動かし、法律の制定にこぎつけました。私の質問が国を動かしたといっても過言ではありません。

3つ目は、県の条例も変えた実例です。現在、心臓疾患や腎臓透析などの患者がいる家族の乗用車1台分が免税になっているのを知っていますか。私が議員になるまで、沖縄県の条例は車の名義が障害者自身の名義でないと免税しなかったのです。ところが、私が調べたところ、東京、名古屋、大阪、福岡では、生活を1つにしていればその家庭の車1台は免税されていました。私の質問が沖縄県の条例の不備を正したんです。その後、県の条例は変わりました。

大城敬人名護市議と島袋文子おばぁ

このほかにも、シングルマザーで出産費用がないという妊婦さんには、入院助成制度で安心して赤ちゃんを産めるようになってもらったり、名護市における医療費の無料化などに一般質問で取り組んできました。

一般質問は当初、名護市議会ではとても少なかったけれど、いまでは全国1の水準です。ほとんどの議員がするようになりました。調査なくして発言なし。議員活動のバロメーターは一般質問なんです。

「戦時遭難船舶」問題はライフワークとして取り組んでいます。対馬丸以外に、沖縄県民が乗船していた船が25隻ありまが、何の補償もありません。これを何とかしなければならないという強い思いです。

最後に、辺野古の闘いです。辺野古の闘いは1997年から始まりました。

それより早い1996年12月2日、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)決定の日でした。名護市民大会の反対決議を受けて代表団とともに東京に行った私は、総理官邸で古川貞二郎内閣官房副長官に対して言いました。「あなたの信仰は何ですか。沖縄の信仰は祖先崇拝です。滑走路の先には「門中墓(もんちゅうばか=一族の墓。結びつきは「本土」より深い)」があります。これからは沖縄の多くの人が立ち上がり、海を絶対に死守します。沖縄の信仰を押さえつけることはできない」と宣言しました。東京から戻ってすぐに宣伝カーで市民に訴えました。

「命どぅ宝」と書いて、全戸配布した嘉陽のおじぃ、辺野古の入り口に新基地建設反対の横断幕を張った比嘉盛順さん、そして私の3人が辺野古の闘いの3つの源泉といわれています。2人とも今は亡くなりましたが、この3人から新基地建設反対の運動がはじまったのです。

闘いの原点についても語りたい。辺野古のおばぁたちも立ち上がりました。辺野古の海は、命の海でした。戦争が終わった時、食料がなかった。辺野古の海は、子どもを育てるのに、魚やタコや貝などがいっぱい採れたんです。サザエなんかリーフに行けばバケツにいっぱい、すぐ採れたんです。辺野古の海は、みんなの命を救ってくれた豊かな海なんです。「恩を仇で返すな」と言って、おばぁたちも立ち上がっりました。これが辺野古の女たちの心意気だったのです。

こうして飛行場・新基地建設のためのボーリング、そのための単管やぐら阻止の闘いが560日続きました。大勢の日本キリスト教団の人たちや、宜野座、汀間の漁船も加わって、単管やぐらを撤去させることに成功しました。その思いを引き継いでいまのゲート前の座り込み運動があるのです。

私はこれからも、どんなことがあっても新基地を造らせないという強い思いで頑張っていきます。

カチャーシで祝うみなさん

敬人さんの話を受けて、進行役の高里鈴代さんがこう言った。「あと2期、3期は大丈夫。辺野古の新基地問題が解決するまで(議員を)やめられないね」

テントには「祝 あっぱれ! 勤続40年 県内初」の幕。最後は、みんな三線(三味線)に合わせてカチャーシを踊りだした。「祝い」は盛り上がった。

なお、「ティダの会」は週1回の学習会を20年間つづけ、沖縄防衛局への抗議、沖縄県への注文など、新基地建設に反対する粘り強い活動を続けてきた。島袋文子おばぁも「ティダの会」の仲間で、「ティダの会」は「辺野古有志の会」と一緒に活動してきた。

辺野古新基地建設の中止を求める「辺野古有志の会・ティダの会」の横断幕

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