「ポスト・コロナ社会」がさまざまに語られ始めている。新型コロナウイルス発生後の社会が、いまのままでよいとはだれもが思わない。どのような社会になるかは「抗い、闘う普通の人々」が、決めるだろう。そんな世界的変化のはじまりのなかで、東京都知事選を迎えた。
黒人が白人警察官に殺されたことへの抗議運動が全米に広がった。新型コロナウイルスによる黒人の死者は白人の2倍以上と指摘されている。単純労働、底辺で社会を支える仕事が主な理由でもある。抗議運動は単に人種差別だけではなく、格差を当然視する積年の新自由主義にたいする抗議でもあると、多くの人々が共感するようにもなってきた。
抗議運動はイギリスの首都ロンドン、日本の首都東京にも波及した。その日本では安倍首相側近の河合前法相夫妻が参院選での買収容疑で逮捕されるなど、戦後最長の安倍政権の終わりが取りざたされている。
「ポスト・コロナ社会」「社会変革」のはじまりのなかで、東京都知事選が始まった。有力候補といわれる小池百合子氏は自民党の政治家として長年働いてきた。小泉内閣で環境大臣、安倍内閣で国家安全保障担当の首相補佐官、防衛大臣を務めた。新自由主義者としても知られている。今回の都知事選、小池氏は政党の推薦は受けない形をとっているが、実質自民党の支援で選挙戦を戦う。
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石井妙子著『女帝 小池百合子』を読んだ。小池百合子を、人間として許すことはできない。そんな思いを強くさせる本だ。
小池百合子が何のために政治家になったのか、国民の苦難を救おうとかそんなことには無関係だ。『女帝』には、弱い立場の人間を見下しながら政治家の階段を上がっていく小池の、虚飾に満ちたエピソードがふんだんに書かれている。
阪神淡路大震災は忘れられない。悲惨な被害をもたらした大震災だ。都市部の被害の大きさで世界に衝撃を与えた。被災者の救済策も不十分極まりなかった。
小池の地元でもある被災地・芦屋の女性たちが数人で議員会館に小池を訪ね、窮状を必死に訴えた。ところが小池は、指にマニキュアを塗りながら顔も上げずに聞いていた。そして言った。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?」
被災地の女性たちは小池のあまりの仕打ちに、部屋を出てから号泣したという。
環境大臣として、アスベスト(石綿)被害者、水俣病患者らと向き合ったが、それらの問題に関心はなかった。人間としての「情」はみじんもなかった。
水俣病について最高裁が国の責任を認めた後も、小池環境相は認定基準の見直しには踏み込まなかった。「NPOみなまた」の理事が書き記している。「2004年の最高裁判決以降、環境省が果たすべき役割を放棄している姿が重なって、憤りすら覚えました。・・・」
アスベスト被害者に対しても、「情」のかけらもない対応はそのままだった。「崖から飛び降りる覚悟」で取り組むと約束しながら、法案は労災基準とくらべても低水準だったのだ。
夫を中皮腫で亡くした女性が小池の後ろ姿に向かって叫んだ。「嘘つき! 大嘘つき!」
小池は都知事として2017年、都議選を前にして1度だけ築地に足を運んだ。「築地は守る、豊洲を活かす」を掲げる小池は会場で、「(築地の)歴史をあっという間に消し去るなんて、私にはできない!」と叫んだ。
その言葉に築地関係者は「小池は心から築地を愛し、守ろうとしているのだと皆、思った」。こうやって「心」をつかんだのだが、小池は「その後、一度として築地を訪問することはなかった」のである。
「ゴーン氏とはメル友」。違法に国外逃亡した日産前会長のカルロス・ゴーン被告との交遊を自慢する一幕も描かれている。
『女帝』の終盤で著者は「彼女の人間としての在りようを問題視している」と書いた。小池には庶民を踏み台に、 権力者をめざす上昇志向の強さ、自己顕示欲はあっても、人間味や正義はなかった。
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小池氏は今回の都知事選で「東京大改革2.0」を掲げ、「東京の未来は都民と決める」と言い出した。何をいまさら、と思うのはこの4年間の小池都政がウソにまみれているからだ。
前回都知事選で小池氏は、「東京大改革」を掲げ、「都民ファースト」「情報公開」「賢い支出」を打ち出した。「7つのゼロ」も公約したが、「待機児童ゼロ」「介護離職ゼロ」「残業ゼロ」「都道電柱ゼロ」「満員電車ゼロ」「多摩格差ゼロ」の6つは未達成だ。実現したのは「ペット殺処分ゼロ」だけというお粗末ぶりだ。
新型コロナウイルス問題では、感染者を抑え込めていない。情報公開を徹底し、都民と問題を共有するのが解決には欠かせない。しかし「東京大改革」で「情報公開」をうたってはみたが、PCR検査数の少ないこと、統計には感染者の「自宅療養」の項目さえなかった。都内のいくつもの病院で驚くべき多数の死者が出ようとも、実態を明かすことはなかった。
自身がスポットライトを浴びる東京五輪が何よりも優先で、「賢い支出」どころかオリンピックの費用は増え続けた。オリンピックの延長はさらに、都民にとって数千億円の負担増が待ち受けることになる。
「都民ファースト」とは、小池氏の辞書では「自分ファースト」と同義らしい。日本国憲法が「国民主権」をうたっているにもかかわらず、安倍首相はやりたい放題だった。小池氏も自分中心、勝手に振る舞ってきた点では安倍首相とそっくりだ。
「情報公開」についてもう少し、見てみよう。
2017年8月10日の記者会見でのことだ。豊洲市場の移転問題について毎日新聞の記者が質問した。知事が公表した市場と、豊洲と築地と双方に市場機能を残す方針について、財源や運営費など検討した記録が都に残ってない──と。
小池氏は「それはAIIだから」と記者をからかい、そして「私が決めた」「文章としては残していない」と、答えた。知事が決めたのだから、問答無用というわけだ。しかしながら、都政の主人公は都民なのだ。
2020年6月12日の東京新聞。「本紙(東京新聞)が、都が国に回答したIR(カジノを含む統合型リゾート)についての意向調査結果を情報公開請求したところ、ほぼすべて黒塗りという「のり弁」状態で開示された。都によるIRの分析内容も真っ黒で、都の意向や政策決定の経緯はとても読み取れない。小池氏は衆院議員時代、カジノ解禁法案の成立を目指す超党派議連に参加していた・・・・」
「東京の未来は都民と決める」というが、情報公開が十分でなければ都民は判断のしようがない。権力者になれば何をやってもよい、というわけではないのだ。
小池氏の人生で、「学歴」は特別な地位を占めている。「カイロ大学を首席で卒業」という学歴が、政治家の階段を上がっていくうえで、決定的な役割を果たした。『女帝』も、学歴詐称は特別に重視し、詐称を裏付けている。
都議会でも自民党や都民ファーストの会を離党した都議たちの追及を受けた。それでも小池氏は関係書類を都議会に提出しなかったのである。「卒業」が事実なら、どこからチェックされようが、困るはずがないではないか。ちらっと見せて済む問題ではない。
小池氏の「人間としての在りよう」が問われている。その4年間の都政が審判の対象だ。
選挙にとって政策が大事なのはもちろんだが、政策のコンテストではないこともはっきりしている。有権者の怒りに火をつけ、怒りの受け皿になる必要がある。怒りこそ「変革の原動力」である。