沖縄のいま

星英雄:「オール沖縄」について

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1年の終わりに、書いておきたいことがある。ことしは何よりも9月の沖縄県知事選で、辺野古新基地建設に反対する玉城デニー知事を誕生させたこと、このことに尽きるといっていい嬉しい結果だった。しかし「結果よければすべてよし」とはいかない。翁長県政や「オール沖縄」が、主権者たる県民に責任ある対応をしてきたのか。このことが問われなければならない。

「翁長は沖縄の天皇か!」

沖縄で長く基地反対運動を実践してきた人物から、怒りの声を聞いたのは8月23日、社民党、共産党、社会大衆党など県政与党代表らで構成する「調整会議」が翁長前知事の「遺言」を根拠に、自由党の玉城デニー衆院議員に出馬要請した夜だった。

「調整会議」のそれまでの候補者選考過程があっさりとひっくり返され、翁長知事の遺言で次期県知事候補が決まっていくことに「封建時代じゃあるまいし」と違和感を覚えながら、いや、はっきりいえば「オール沖縄」に失望しながら、沖縄の友人に電話した。その相手の怒りの一言である。

沖縄地元紙に目を通しても、遺言という「音声データ」が存在したのかどうかさえ定かではない。9月に県知事選の取材で沖縄を訪れた際、県政与党関係者に確かめてみた。

「翁長知事の遺言という録音を聞いたのですか」。この問いに、ある政党幹部は「ノーコメント」、「経過について言う必要はない」と言い放った。だが、取材を進めると、「調整会議」の有力メンバーはこう明かしてくれた。

「新里県議会議長や謝花副知事が聞いたというのを信じるしかなかった」。遺言という「録音」は、調整会議メンバーでさえ、聞かされてはいなかったのだ。なんということか。遺言による決め方には唖然とするが、実はその録音さえ聞かずに候補者を決める。県政与党は、主権者県民に対する説明責任を自覚しているのだろうか。「翁長」と言えば、何事でもまかり通るというのか。驚くべきオール沖縄の「体質」を感じる。

翁長知事の膵臓(すいぞう)がん、それもステージ2が明らかになったのは5月半ば。地元紙は「2期目出馬に黄色信号」と書いたが、翁長氏本人も県政与党、オール沖縄も、「翁長出馬」を既定路線として突き進んだ。しかし、翁長氏が任期を全うできずに亡くなったこと自体、その誤りを証明しているではないか。

選挙期間中に亡くなれば、もっと悲惨なことになっただろう。公職選挙法では「補充立候補」が認められている。しかし、投票日までのごく短期間に候補者を決めなくてはならず、しかも期日前投票の分は、死亡した候補者への投票は無効になるが、他の候補者への投票は有効としてカウントされるのだ。

膵臓がんはやっかいな病気だ。ステージ2が明らかになった時点で、なお翁長氏に固執するのは、県政の私物化といわれても仕方がない。

翁長県政・オール沖縄を論じるうえで、埋立承認撤回問題の検討は欠かせない。筆者は、土壇場であれ、翁長前知事が「撤回」を決断したことは評価する立場だ。だがそれは、県民・市民の土砂投入前の撤回要求に迫られてのことだったと思う。

翁長知事は「安倍首相には負けたくない」という思いが強かったといわれる。辺野古新基地建設を阻止したいという気持ちも持ち続けたと思う。しかし「撤回」を県民に約束していながら、撤回と土砂投入を結びつけて語ったことはなく、まして辺野古新基地建設阻止とのかかわりで撤回の政治的意味を語ったこともない。「知事は県民より沖縄防衛局の動向を見ていた」という関係者もいる。県政与党さえも情報を共有させてもらえなかった。ゲート前の現場では知事と県政与党に対して「現場と遊離している」と不満が広がっていった。

翁長知事が撤回の決意を表明したことを報じる7月28日付け沖縄2紙は、翁長知事が決断した背景として知事に対する県民の不信の高まりを指摘した。

「辺野古現地で反対行動を展開する市民からは『撤回』を求める悲鳴にも似た声が日に日に高まっていた。知事不信さえ広がりつつあった」と沖縄タイムスは社説を展開し、琉球新報は「撤回を巡る県の慎重さは、知事の就任当初から早期の撤回を求めてきた支持者の不信を増大させ、翁長知事を支える『オール沖縄』陣営の不協和音にもつながってきた」と解説した。

「撤回」を宣言すれば新基地建設を止められるというほど事態は単純ではないけれども、翁長知事の辺野古新基地建設反対の姿勢、闘う姿勢と分かちがたく結びついているものではある。

2018年2月の名護市長選で、新基地建設反対の稲嶺進市長が敗北したことも「撤回」しないことと結びついていたと思う。市長選の2カ月後、名護市での取材はそのことを強く感じさせられた。

名護市で暮らす男子大学生は「国の力が強いので(新基地建設問題は)もういいや、というあきらめ感があるのを感じた」と話してくれた。また、シュワブ・ゲート前の座り込みに参加していた人は「みんな思っていてもあまり言わないが、翁長知事の姿勢が大きく影響した」と話した。「あんた、翁長知事を信じているのか」と筆者を詰問する市民もいた。

安倍政権の新基地建設強行は県民の「あきらめ」を誘うものだ、とは沖縄で広く共有されている見方だが、県知事の闘う姿勢はまさに安倍政権の強行姿勢と裏腹の関係にあるといっていい。

地元紙には、土砂が投入されれば、辺野古新基地建設は知事選の争点にはならない、という自民党沖縄県連幹部のコメントも紹介されていた。確かに、そうなれば、「あきらめ」が沖縄全土に広がっていただろう。

土砂投入前に撤回しなければ、県知事選の結果は違ったものになっていたかもしれない。

オール沖縄とは何だろうか。米軍基地をめぐって対立していた保守・革新だが、一部の保守と革新との共闘へと発展した。それは、革新といわれる政党・勢力の力の低下が一番の理由と見られている。

県知事選は、1998年約33万7000票(大田昌秀知事)、2002年は分裂選挙で惨敗、2006年約31万票(糸数慶子候補)、2010年約29万7000票(伊波洋一候補)と、敗北続きだ。得票数は回を追うごとに少なくなり、革新だけでは県知事選に勝てなくなった現実がある。

そして、保守の一部が辺野古新基地建設反対に転じた。その背景について、翁長前知事の盟友ともいわれた沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)会長の平良朝敬氏はかつてこう語った。「経済的にも軍事的にも環境が変わった。基地はいらないと、堂々といえる時代が来た。基地をなくしたほうが雇用も増え、沖縄経済も発展する」

こうして生まれた「オール沖縄」だが、沖縄タイムスはこう断じている。「4年前に翁長知事誕生の原動力となったオール沖縄は、あくまでも保守政治家であった翁長氏を中心に据えた、保守色の強い組織だった」(2018年8月24日)

沖縄大学准教授の鋭い批判もある。「『オール沖縄』の足並みを乱さないよう配慮すれば配慮するほど、保守・中道的になり、革新的な政治批判力が低下している」(沖縄タイムス2018年8月30日)

ことし春に亡くなった元沖縄大学学長の新崎盛暉さんは筆者の取材にこたえて言った。「革新に主導権はない。それどころか、県政与党は翁長に丸投げだ」

「県政与党は翁長に丸投げだ」との批判に対して、県政与党の中心的県議は言った。「与党として翁長知事に何もいわなかったわけではないが、翁長さんがいつもいうのは、『それでは保守はついてこれないよ。それでも皆さん、いいのか』『保守の1部をとりこまなかったら次はないんだぞ』ということだった」。翁長知事に気圧される革新、という構図が見えてくる。

辺野古新基地反対闘争の意義を説き、「沖縄の民衆運動は新しい時代を切り開きつつある」と語ったのは「沖縄闘争の伴走者」と評された新崎盛暉さんだった。

当初は、沖縄民衆への高い評価は珍しくなかった。翁長知事誕生直後、東京での沖縄集会で「県民の強い思いが政治家を突き動かしていった」と比嘉京子沖縄県議は参加者に語った。翁長氏本人も、当選直後のインタビューでは「政治よりも先に、県民の意識があった」と語ったものだ。

翁長知事も玉城知事も、沖縄民衆の基地反対運動の高まりのなかで誕生した。その逆ではない。

1996年12月 、SACO最終報告は普天間代替施設建設の場所について「沖縄本島東海岸沖」と明記 した。その直後から、数人のおじぃ、おばぁの座り込みが辺野古の浜で始まった。伊江島での闘いなど敗戦時から脈々と続く沖縄民衆の米軍基反対闘争の経験や、闘う「本土」の連帯もあるなどして、闘いは大きく発展した。すでに、SACO最終報告から22年が過ぎた。これだけでも、戦後日本史に特筆される闘いといえる。

「玉城知事は翁長さんほど言葉は鋭くないが、現場に寄り添う気持ちは強いようだ」。米軍キャンプ・シュワブのゲート前からはこんな言葉も伝わってくる。座り込みの現場では「全基地撤去」のプラカードも目立つ。県民・市民は「辺野古」で立ち止まってはいない。行く行くはすべての米軍基地を撤去したい。命と人権を犠牲にすることを当然視する日本の安全保障政策こそが問われなければならない──と。

「オール沖縄」のように、異なる立場の組織や個人が目的を一つにして運動を進める場合、それぞれが節度を持って自説を語れる自由な言論空間がなければ運動は発展しない。

沖縄県によれば、辺野古新基地建設には2兆5500億円もの税金を投入しなければならず、13年はかかる難工事という。前途は容易ではないが、知事が辺野古新基地建設に反対の姿勢を堅持すれば、軟弱地盤などの問題もあり、今後必ず転機が訪れると思う。県知事、そして県政与党は主権者県民と情報を共有し、苦楽をともにし、民衆とともに国家権力の横暴に立ち向かってこそ活路は開ける。土台となるのは、沖縄民衆の闘いなのだ。

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