部屋の整理をしていたら、DVD『辺野古不合意』が見つかった。2010年制作だから、もうずいぶん前につくられている。
『辺野古不合意』は、「名護の14年とその未来へ」のサブタイトルがつく。
登場人物は皆若い。2010年、初当選した稲嶺進・名護市長、ピースキャンドルの渡具知武清さん一家(両親、子供3人)、新基地建設反対のシンボル嘉陽宗義おじい、名護市議会議員の大城敬人(おおしろ・よしたみ)さん……。懐かしい人々ばかりだ。
圧巻は、名護市民投票だった。
内閣官房長官をはじめ、政府要人が次々と名護市に入る。
鈴木宗男沖縄開発庁長官らが「北部振興は海上基地賛成が条件」と明言。
防衛施設庁職員ら約300人が市民投票に向けて個別訪問。
「反対に〇 心に届け女たちの声」。この横断幕を掲げ、女性たちがデモ行進。
2004年から続くテント村での座り込みと阻止行動がなければ、今の状況はありえなかったとナレーション。
今日に続く政府と沖縄の原型がここにある。
名護市民投票は1997年12月21日投開票だった。
開票の結果は、辺野古移設反対1万6639票(53.83%)、賛成は1万4269票(:46.16%)。
名護市を2分して争った『辺野古新基地建設』問題は、新基地建設反対が結論だった。
まさに『辺野古不合意』なのである。
ところが市民投票の結論が出た3日後、東京で、当時の比嘉鉄也名護市長が東京で、新基地受け入れを表明したのだ。
「何だった市民投票」「民主主義への暴挙」と、新聞が糾弾する。
その後は13年間に渡って基地受け入れ市政が続く。しかし、失業率は8%から12%に増えた。なにが「振興」だ。
大城敬人名護市議会議員も、辺野古の意思決定機関、そして「振興資金」と談合疑惑について話している。
DVD『辺野古不合意』を見て、思い出すことは多い。
渡具知さん一家は今もピースキャンドルを続けている。
嘉陽のおじいの家には額が掛かっていた。「辺野古大浦湾の海に基地はいりません 稲嶺進」
大浦湾は嘉陽おじいの指摘で書き加えたという。稲嶺氏が名護市長選に出馬する意思を固めた歴史的な書、といわれている。
稲嶺進名護市長には、2期目をめざす市長選の直前、2013年11月14日にインタビューした。辺野古新基地について「生活や自然を守ること、人権の問題だ」とこたえたのが印象的だった。
名護市のシンボルひんぷんガジュマルで大城敬人・名護市議会議員と待ち合わせをして、-日本一早い「名護さくら祭り」を案内してもらったのは2013年1月28日だった。
それ以外にも大城・名護市議には、米軍基地キャンプシュワブの弾薬庫や名護市にあるオスプレイの離発着場、この問題は〇〇に聞いたほうがいいなど、沖縄取材で最もお世話になった人である
大城市議は、辺野古新基地容認市政を相手に反対市議をまとめ、牽引車として鋭い論陣を張った。
終生変わらぬ辺野古新基地建設反対の姿勢とともに、市議としての鋭い論陣は長
く語り継がれるに違いない。