私も原告の1人として、名護市辺野古区周辺の住民とともに、辺野古新基地建設をめぐる訴訟を闘いました。
埋め立てを認めた國土交通相の採決は違法と訴えた裁判で5月15日、福岡高裁那覇支部は一審の判決を取り消し、「原告適格」を認める判断をしました。
原告適格とは、訴訟を起こす資格がある、という意味です。
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一審の那覇地裁の判断は原告適格を認めず、門前払いでしたが、これでようやく辺野古新基地建設の実質審理に入ることができるようになりました。
辺野古の集会で原告弁護団の1人、赤嶺朝子弁護士は「当たり前のことを認めさせるのに5年かかったが、闘わないと得られなかった」とスピーチしました。まったく同感です。
私も福岡高裁那覇支部で、原告の1人として以下のような意見陳述(要旨)を行いました。
ーー私は1956年12月普天間で生まれ、2歳のときに辺野古に移り住みました。私が暮らしている名護市辺野古区の住民たちは。この海で魚を取り、山や川の幸に恵まれ、自然の恩恵を受けて生活してきました。振り返れば隣近所や友人たちと人間味あふれる生活をしていました。今では、過去の思い出にしかありません。悲しい。
ーー辺野古新基地建設の工事が始まり、海・山・川・空まで環境破壊されました。海は埋め立て工事で使う土砂投入で汚染されています。山は実弾訓練・爆弾処理で山火事になり、はげ山となっています。この山は辺野古富士ともいわれ、私たちの心の山でもあります。実弾が撃ち込まれるたびに心は張り裂けそうになります。その山からはきれいな水が大浦湾へと流れ、下流の川には、天然のウナギや川エビが生息していましたが、いまはいません。
つ
ーー1974年10月23日夕方、、辺野古キャンプシュワブ(米軍基地)の海兵隊による強盗殺人がありました。私の母の頭を陥没させ、殺しました。このような殺人・強盗・レイプ・飲酒運転事故などは沖縄では日常茶飯事です。
ーー辺野古新基地が完成すれば、私たち辺野古・大浦湾周辺に暮らす住民たちは、米軍機の騒音に悩まされ、墜落や部品落下の危険におびえて生活することを強いられます。
辺野古新基地建設で私たちの生活が根底から脅かされるのに、原告適格がないとどうして言えるのでしょうか。
私たちの願いもむなしく、政府(岸田政権)は原告適格を敵視して、最高裁に上告しました。権力をかさに着た、住民の声をつぶそうとする行為で、きわめて悪質です。私たち原告団は、抗議声明を出して抗議しました。
私たちは日本国憲法に定められた主権者です。負けるわけにはいきません。これからも闘い続けます。