トランプ米大統領の発言が参院選でも大きな問題になっている。トランプ大統領は「日米安全保障条約は不平等だ」「米国は日本防衛の義務を負うのに、日本には米国を防衛する必要がない」などとして、「日米安保条約を破棄する可能性」に言及したという。「アメリカファースト」のトランプ大統領が、「アメリカは撤退するぞ」と「アメリカ頼みの日本」を脅す構図だ。日米安保は辺野古新基地建設に直結する問題でもある。しかも安倍首相は、森友・加計問題や「毎月勤労統計」問題と同様に、われわれ主権者国民に対し説明責任を果たそうとはしない。日米安保条約とは何だろうか。
日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)は「アメリカの日本防衛義務」(第5条)と、その見返りとしての「日本のアメリカへの基地提供義務」(第6条)がセットで中核をなしている、というのが岸内閣以来安倍内閣までの日本政府の公式見解だ。つまり、「アメリカの日本防衛義務」と「日本のアメリカへの基地提供義務」はイーブン、五分五分の関係と言ってきた。日本は「アメリカ防衛」はできないが、その代わりに「基地を提供する」というのが政府の説明なのだ。実際、日本には沖縄をはじめとする広大な米軍基地があり、アメリカには日本の基地はない。
日本にアメリカ防衛の義務はないことが、日米安保の条文からもわかる。日米安保条約第5条は「日本国の施政の下にある領域」を「共同防衛」の対象地域としている。アメリカは対象外なのだ。第3条と第5条には、日米両国の憲法にかかわる規定もある。第5条には「自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動する」と書かれている。日本国憲法に従えば、アメリカを防衛できるわけがないことは、アメリカにとっても自明の条約だったのだ。
ではなぜ、トランプ大統領は「不平等だ」と言ったのか。「アメリカは撤退するぞ」と脅せば、これまでも日本が「犠牲とコスト」を負担してきた歴史があるからだ。
かつて外務省幹部が「アメリカの羽音にさえ驚く政府」と語っていたように、アメリカの言動につねにびくついてきたのが日本の現実だ。アメリカにすがることでしか日本の安全保障政策を構想できないのが安倍政権をはじめとする歴代政権なのだ。安倍首相はトランプ大統領との首脳会談を経て、F35ステルス戦闘機105機を追加で爆買いし147機体制にする。維持管理費を含めるとF35に投入する予算は6兆円を超えるという試算もある。6兆円の予算があれば、保育所や社会保障費に回せばよいではないか。この爆買いも、アメリカに見捨てられないためなのだから、脅しの効果は絶大ということになる。
日米安保条約がどんなものかを示す格好の例がある。朝日新聞5月17日付インタビュー記事で、河野克俊・前統合幕僚長はこう語っている。「米国が核を使ってでも日本を守るようにするには、米国にとっての日本の価値を高めないといけない」。
自民党を支持する人も、公明党を支持する人も、主権者として考えてほしい。広島・長崎の被爆体験をもつ日本が、米国に核兵器の使用を促すこと自体、驚愕する事態ではないか。しかもそのためには、米国の気に入る日本にならなければならないと説くのだから、何をか言わんや。これが日米安保条約・日米安保体制の真実なのだ。河野氏は安倍首相の信頼が厚く、この3月まで異例の長期間、自衛隊トップの統合幕僚長を務めた人物だ。
大量殺りくの核兵器は使えない兵器、ともいわれる。いまや国際世論が「絶対悪」とする核兵器の禁止条約が国連で成立した。それに貢献したことでノーベル平和賞を受賞したICAN(「核兵器廃絶国際キャンペーン」)の川崎哲国際運営委員は、「核抑止力というのは安全神話だ」と断言し、核にしがみつく勢力を批判している。同時に、「野党は『核の傘』に対抗軸を」と呼び掛けてもいる(東京新聞7月7日付)。参院選の公約で「核の傘」に対抗軸を示しているのは、野党のなかでは共産党と社民党だけだ。
核兵器の開発、使用を禁止する核兵器禁止条約に背を向けて、アメリカの核兵器にしがみつくのは1人、前統合幕僚長だけではない。日本政府の外交・防衛政策の基本とされる「国家安全保障戦略」がアメリカの核に依存、すがっているように、日本の歴代政権がアメリカの核にしがみついている。安倍首相も当然のように「核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠」と公言してきた。
しかし、アメリカが日本のために核を使用することはありえない。だからこそ「米国にとっての日本の価値を高めないといけない」と、アメリカのポチになろうとするわけなのだ。
日米安保条約に基づいてアメリカに基地を提供している日本。自民党安保族の国会議員や外務官僚ら日米安保体制を維持することが日本の国益とする人々の日米安保ムラは、「日本は見捨てられる、アメリカはいざというとき、日本を守らない」という不信と不安に覆われている。
もうすこし、実例を示そう。
日本中から「憲法違反」の大合唱が巻き起こった「安保法制」を、なぜ安倍政権は強行したのか。安倍首相の私的諮問機関「安保法制懇」座長代理の北岡伸一氏はこう明かしている。「米国を何とか引きとめなくてはいけないのに、米軍が襲われても助けるのは嫌だという都合のいいことはできない」(毎日新聞2014年4月16日付)。憲法違反の集団的自衛権行使は、アメリカに見捨てられないためだと、いうのである。
自民党の高村正彦副総裁も安倍晋三首相の信頼が厚いことで知られ、安保法制の立役者の1人でもある。その高村氏も2015年、安保法制成立直前のNHK番組で同様の考えを語っている。「(日米安保)条約上の義務といっても、どこまでやるかはアメリカの判断だ。精一杯やってもらうためにはわれわれもせめて、近海における日本を守るための米艦ぐらい守らなきゃいけない」
「日本防衛」がアメリカの判断に左右されるなら、それを「義務」とはいわない。明らかなことは、「アメリカに見捨てられない」ために──が、憲法9条改悪の強い動機・推進力となっていることだ。
沖縄では、米軍普天間基地の移設先について「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ」との発言で知られ、石破茂衆院議員ら自民党安保族議員が「先生」と呼んで敬意を表する森本敏元防衛相もこう語った。「本当にアメリカが日本を守るかどうかは、アメリカにとって日本を守ることがアメリカ国家とアメリカ国民にとって真に利益だと感じるときしかない」。2012年、防衛省主催のシンポジウムでのことだ。アメリカに守ってもらうためには日本がアメリカの州の1つにでもなれといわんばかりの発言だ。
日米安保ムラには、「アメリカは日本を守らない」の亜種として米軍基地「人質」論もある。「日本を守るつもりがないアメリカでも、米軍基地を攻撃されたら反撃せざるを得ないだろう」との考えだ。モンデール元副大統領が、米軍普天間基地の返還交渉で、日本側が在沖縄米海兵隊の駐留継続を望んでいたことを証言したと沖縄紙が報じたことも、この流れに沿っている。
ことあるごとに日本政府がアメリカに求めている尖閣諸島への安保条約の適用の問題でも事情は変わらない。アメリカは、尖閣諸島は日本の施政権下にあると認める一方、尖閣諸島の主権問題については、日中が二国間交渉で解決すべき問題だという立場を変えない。「日本防衛義務」どころか、日中間の争いに巻き込まれたくないというのがアメリカの本音である。
いま、アメリカに守ってもらうためには、アメリカの気に入るような日本にならなければならない、という倒錯した論理が日米安保ムラと安倍政権を支配している。そのために、日本が「犠牲とコスト」をアメリカに支払う。日本の国技といわれる大相撲をトランプ大統領に供することも、イージス・アショアを秋田・山口に設置するのも、米国製兵器を爆買いするのも、もちろん「思いやり予算」も、辺野古新基地建設も、みなこの文脈上のことである。
「アメリカの若者の命を、日本のために投げ出すはずがない」。日米安保体制を支持する日本の勢力の不信と不安の根底にあるのが、このことだ。トランプ米大統領がイラン攻撃を10分前に中止したのは、トランプ氏を支持する保守勢力の間でさえ戦争反対が強く、大統領選で不利になるからだと言われる。ベトナム戦争以来、アメリカ国民に厭戦気分が浸透している。
「アメリカは世界の警察官を続けられない」と言ったのはオバマ前大統領だが、「アメリカファースト」のトランプ大統領もその考えは同じだという。
1960年6月発効した現行日米安保条約は、旧安保条約が米軍駐留条約だとの国民の批判の高まりを受けて改訂された。当時の岸信介首相は「アメリカの日本防衛義務」を明記したことを力説して、アメリカへの「基地提供」を美化した。その後の推移は「アメリカに見捨てられる恐れ」を動機に、憲法違反の集団的自衛権の行使にまで行きついた。それを日米安保ムラでは「日米同盟の双務化」という。では、日本がアメリカに提供する米軍基地はどうなるのか。
アメリカの「日本防衛義務」は虚構である。そのアメリカに、基地を提供する必要があるのか。沖縄をみれば誰もが理解できると思うが、人々の命と人権、人間としての尊厳を犠牲にしなければ成り立たないのが日米安保条約・日米安保体制である。いまわれわれ主権者国民が問うべきは、日米安保体制そのものなのだ。