飯舘・福島からの通信

佐藤八郎:復興は村民の合意形成でー復興について思う②

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〈村会議員=共産党。放射能汚染の問題を村の内外に訴えている。3年前の村長選では、約42%の得票を得た〉

復興は人間あってこそ、ではないでしょうか。
広大な320キロ平方メートルの飯舘村に、原発事故前は6000人が暮らしていました。当時から、10年後には4000人規模の村になることを想定して、そのつもりでやってきましたが、原発事故で一気に加速されました。1000人規模の村になってしまったのです。この先、2000人が村で暮らすようになるのか、それも危ういのが現状だと思います。

私が何百人の村民から話をきくと、村にいま戻っている人数が限界のようです。若い世代の人が子どもたちを育て上げてから村に戻っても、現在村に戻っている高齢の人たちはその時、存在してないでしょう。現状もきびしくて、村に戻ったといっても、夜電気がついている家はもっと少ない。つまり、夜は子や孫と村外で過ごしているのです。当然のことです。

問題は地域がないこと、破壊されたことです。戻った人たちはいても、地域として成り立っていない現実があります。飯舘村は20の行政区で構成されていますが、婦人会、消防団などはいまは5つの行政区でしか成立していません。村の自治組織、コミュニティは崩壊しています。

自治組織はお互い、寄り添ったり、相談しあったり、助けあったりです。それで地域、村がつくられています。そんな現状をみても、村の行く末は困難を極めています。

戻っている人の多くは「おれらで村は終わりだ」と思っています。8代続いてきた家でもそうです。終わりだという人が80%いる中での復興や未来の問題を考えなければならないわけです。飯舘村だけのことじゃないけれど、子どもが少ない。考え方や家族の在り方が都会並みに変わってきています。

飯舘は放射能で汚染された村です。白血病になった人もたくさんいます。それをないことにしているのが今の安倍政権です。放射能を浴びて平気な人間はいません。マーシャル諸島の人たちの寿命は短いことを考えてみてください。

9月の村議会で、村内で再開している学校の近くに線量の高いホットスポットがあることを追及し、村長も認めざるを得ませんでした。村は村民が安心して暮らせるような放射線量ではありません。

毒物を空からまかれたのに、そのこと自体が問われないのか、日本という国は。私はそのことを強く批判しています。

オウム真理教はサリン1種類をまいて、教祖は死刑になりました。飯舘の惨事は空から毒物、放射能をまかれたことが原因です。除染だ、賠償だということは、悪かったと認めていることではないですか。

ところが、空から放射能をまいたこと、そのことの責任をだれもとらないですませている。おかしいじゃないか。放射能を空からまいたために飯舘村のみんなが被害を受けたんです。国際的には化学兵器も禁止され、核兵器禁止条約が国連で採択されたというのに、日本という国は、空から毒物をまいても許されるんですか。

放射能は目に見えない、においもしない。だから大丈夫とか、「飯舘の人は大変だな」で終わりにするのではなく、自分のこととして考えてほしい。東京の人に保障されている権利が飯舘の村民にはないんです。放射能汚染が、日本国憲法で保障されている我々の生存権を奪っているんです。

村の復興に意欲のある人たちがいることは、心強いことです。そういう人たち・村民と意見をかわし、合意を形成していく必要があります。村民の楽しみ、生き甲斐、雇用の場をつくりながら、1000人、2000人の村を目指すのがいいと私は思います。何よりも、住民合意のもとに進めることこそ大事です。

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